大村剛
1977福岡県に生まれる 自然に囲まれた環境で育つ
少年期 なぜか将来画家になろうと決める。
でもなぜか絵を描くのがすごくきらいだったのを覚えています。 高校時代、美大を受けたいと教師に相談するが「無理」といわれる。
1998
実家の居酒屋で岩田圭介さんの器を使っていて、それを見て強く惹かれる。その後1年間岩田さんの仕事を手伝わせてもらう。それまでまともに絵画を見たことがなかったので岩田さんがフランスに行くときについて行って古いものから順に2週間くらいかけて観ていき、とても影響を受ける。
1999 岐阜県立多治見工業高校陶磁科学芸術科入学
吉田次朗くん、徳田吉美さんに出会う。このころ「百草」がオープンし徳田さんに誘われて展示会の手伝いなどさせていただく。その時見た伊藤慶二さんの「面」という作品が今でも忘れられない。安藤さんにはお茶を教えてもらったり面白いものをいろいろ見せていただいてとても影響を受ける。
2001 MAVOに入り制作開始。
吉田次朗くんとはいろいろ展示会など見て回る。
2003 「工房からの風」出品。
2004 ギャラリーcomoにて初個展。
2007 福岡県に開窯。
2009
中国茶の師範、李さんに出会い中国茶の道具を作り始める。台北市の茶家十職で2人展。以後1.2年おきに展示会をする。
2014
メゾン・ド・タカ(芦屋)の高山英紀シェフと出会いレストラン用のお皿を作り始める。
2015
デンマークのレストランnomaが東京でnoma tokyoを開催するときのお皿を一部出品する。これらのシェフとのやり取りで器の印象が変わってきました。
吉田次朗
1979 東京下町
人類みな兄弟と言っていた父と、唄があれば何もいらないのではないかと思わせる母から
(兄)姉姉兄妹弟妹(弟)の真ん中に生まれる
母によればあなたを産んだ時はまったく痛みはなく気持ちよかったわよと
北九州の祖父助次は大工で、その家には木でつくられた面がたくさんかけられていた
名前の一文字をもらい次朗となる
漠然と何かをつくるようなことをして生きていくのだと感じていた
身体を動かすこと、手を動かすこと、呼吸に意識をおくこと、
ボロボロの自転車をこいで荒川の土手に行ったり、目を瞑り瞼の裏の景色や薄く開けて漂うものを眺めたりすることが好きでした。
高校一年の夏に父が他界 (弟)の誕生
高校二年、土に触れる楽しさを知る
陶芸部に入り、早朝から部にこもり私物化
高校卒業後お金を貯めて、鈍行列車で国内の古陶の地を巡り
土器や須恵器、また飾りのない雑器などに魅せられる
1999 多治見
多工高専攻科に入学。
焼肉屋で大村くん、天さんとバイト
2001
MAVOを借りて制作を始める。当初とっくん(注:徳田吉美さん)と同室
2006山口県大津島、宇部と移り住み2013岐阜県揖斐郡に居を移す
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