手しごとの営み
齋藤田鶴子・谷口隆・Sissi Castellano・Fabrizo Merisi・安藤明子
2015.7.11 (土) - 26 (日)
11:00 - 18:00
会期中無休
作家在廊日|齋藤田鶴子 7.11(土) 12(日) 13(月)
谷口隆 Sissi Castellano 7.11(土) 12(日)
◎アーティストトーク
話し手 / 齋藤田鶴子 Sissi Castellano 聞き手 / 土田眞紀
日 時|7月12日(日)14:00より
場 所|百草にて
参加費|無料
イタリアより、ローマ在住 亜麻手織布作家 斎藤田鶴子さん、
建築家・Casa Clementina主宰 コレクター クリエイター Sissi Castellanoさんをお迎えし、
造形作家 Fabrizo Merisiさんのお仕事も含めた、お三方のリネンに込められた思いや、
制作・活動の内容やきっかけなど、画像を交え、美術史家 土田眞紀さんにお聞き頂きます。
どうぞご参加ください。
企画展の風景
手仕事を継ぐ人々
『万葉集』に麻衣を詠んだ歌がある。
麻衣 きればなつかし 紀の国の 妹背の山に 麻蒔く吾妹 藤原房前
かにかくに 人はいうとも 織りつがむ 我が織物の白麻衣
畑に麻(大麻)の種を蒔き、育て、刈り取り、皮を剥ぎ、細く裂き、績み、縒りをかけ、機にかけ、織り、水に晒し、衣に仕立てる。
そんな業をほとんどの人が忘れてしまった今とは違い、万葉の時代、多くの人にとってこれらは当たり前の仕事であったにちがいない
。
その千数百年前にも、これほど麻の織物を大切に思い、麻衣から懐かしい人を思い出し、人がなんと言おうとも
「我が織物」である麻衣を織り継いでいきたいと歌に残した人々がいた。
これらの歌を知った時、麻の織物も、またそれ以外の様々な手仕事も、決してこの世の中から消えることはないのかもしれないと思えてきた。
歌に詠まれた「白麻衣」は、いまも伊勢神宮で、 毎年春秋の二度「神御衣」として奉納されている荒妙(あらたえ)に近いものだったのだろうか。
荒妙は、絹で織られる和妙(にぎたえ)とともに、神宮からそう遠くない場所にある二つの神社で、村の人によって織り継がれてきた。
一度は神宮との関係が途絶えた時期もあったが、江戸時代に再興されており、
大切な布を織り継ぎたいと願う人々の強い意志がここにも感じられるように思う。
清らかな水に恵まれた日本では、麻の透明感を湛えた白さに、神の衣にふさわしい何ものにも代えがたい美しさを感じてきたにちがいない。
それと同時に、大麻や苧麻は、万葉以前から、身を包むだけでなく、
日々の暮らしの様々な場面に欠くことのできない、庶民の生活を支えてきた布でもあった。
種を蒔くことから始まる長い工程を経て、ようやく手にすることができた貴重な織物であっても、いつかは破れ、綻び、
小さくなり、継がれ、繕ろわれ、最後は塵に帰っていく。
その塵に帰る直前の襤褸(ぼろ)が、本来僧が身にまとうべき糞掃衣(ふんぞうえ)であった。
真っ新な生まれたての布の生命と、最後には塵に帰っていく布の生命。
そのどちらにも心を寄せ、自らの手の仕事を通じて布の寿命を少しでも長く繋ぎ、心を籠めてまた新しい布を織り継いでいく。
そうして布とともに自らの生を全うしようとする人たちは、いつの世にも、どの土地にも暮らしていたにちがいない。
それが大麻であっても、苧麻(ラバー)であっても、亜麻(リネン)であっても、木綿であっても、絹であっても同じことだろう。
今回の展覧会を通して、時間や距離の隔たりを越え、彼らの存在を間近に感じたいと思う。
土田 眞紀
1960年、大阪生まれ。帝塚山大学・同志社大学講師。
大阪大学大学院にて西洋美術史を専攻。1987年から1999年まで三重県立美術館に学芸員として勤務。
その後はフリーで展覧会企画や執筆活動に携わる。
専門分野は、近代美術史、工芸・デザイン史、工芸論。現在は「民藝」を提唱し た柳宗悦の工芸論を中心に研究を進めている。
主な著書『さまよえる工藝――柳宗悦と近代』(草風館、2007年)
主な展覧会企画「20世紀日本美術再見」シリーズ(三重県 立美術館、1995年〜)、「柳宗悦展」(三重県立美術館、1997年)
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