ギャルリももぐさ/百草
作品/百草
Temporary Exhibition Gallery Permanent Exhibition Gallery Cafe Outline & Access Masanobu Ando's Work Akiko Ando's Work Momogusa Original Published Momogusa Blog.
企 画 展 企画展リストへ


暮らしの造形 lIl

2012  9月15日(土)〜30日(日)

11:00〜18:00

会期中無休



作家在廊日
Peter Ivy 9月15日(土)16(日)
舞良雅子 9月15日(土)



舞良雅子さんとのコラボサロンも出展されます


百草カフェ

ルヴァンのパンと季節の野菜を用いたを使ったランチプレートを限定食をご用意しております
PETER IVY
舞良雅子 舞良雅子
和と洋 平面と立体の狭間

日常生活で使いたくなる既製品が少ないので、百草を開廊する際、オリジナル作品を充実させていこうと決めた。しかし、作り手を見つけることがとても難しかった。美濃に陶芸家はいても手仕事の職人はいないので、当初作家にお願いして白磁のそば猪口を作ってもらっていたが、仕事に誇りを持っていただけなかったので、申し訳なくなって頼むことをやめ、今は自前制作している。薄手の無地硝子は様々な作家に尋ねたが、そもそも技術的に無理と言われ苦労した。技術力があって作ることが好きな人と出会うことは難しい。
 それからしばらくして、まだ瀬戸市に住んでいたピーターと出会った。その頃、大きな電球とか、ガラスに混入させた小石によって、薄く吹いたガラスが自然に割れるようにし、それをワイヤーで繋ぎ止めるという、超テク技術の作品が多かった。工房には解体して修理中の古いBMWが置いてあり、作ることが芯から好きな様子が伝わってきた。自宅兼工房も、工場を自前で改装して格好良く住んでいた。ほどなくして18世紀のオランダガラス皿が手に入った。これを作れるのはピーターしかいないと直観し、それを参考に作ってもらうようになった。
 日本のガラス作家は60年代アメリカのスタジオグラスの流れだという。江戸時代や明治時代の和ガラスを伝統の系譜として制作している作家はいない。ピーターの作品は、アート志向のアメリカ的ではなくどういう訳かその和ガラスの雰囲気が漂っている。ヨーロッパの技術と日本人の感性の合体したものに見えるのは不思議だったが、ピーターの略歴を読んで納得した。仲間を得たようで嬉しかった。今展では食器だけでなく、百草の建築空間にも入れ込む作品など、幅広い展観になるという。彼の技術力と作り手魂を感じて欲しい。
 今年初めの「百草冬百種展 岩手から」に舞良さんは、唯一の作家として登場願った。東北、特に岩手の良さは手仕事が一杯残っているところ。それも南部藩の延長線もあれば、明治以降のホームスパンなど、手仕事が生活とフラットに繋がっている。それは一般的なアーティストという上昇志向と違い、日々の営みに近いものである。舞良さんもその流れの作り手ながら、この土地柄の中で異彩を放っている。今や盛岡の伝統工芸的存在であるホームスパンの技術を習得しつつ、学生時代に学んだ現代美術の感性を持って、テキスタイルに臨んでいる。彼女の特徴の一つは、例えばストールという平面の布に、立体的かつ絵画的要素がいつもどこかに覗かせてあることだ。遊び心というより、ストールが3次元の立体として見えているのだろう。布の端をどう始末するかに、その作り手のセンスが表れるが、彼女にはそれが布の端には見えず、布という立体の断面であり、一番作り手の心がくすぐられる楽しみな箇所になっている。布のボックスはセリシンによりシルクの繊維が固まった立体布で作られた箱である。手提げ袋や箱類、半立体的ストールからパーテイションまで、布の立体的な切り口の多様性と、まさしく暮らしの中にある造形を見て頂けたらと思う。

百草 安藤雅信


 
ピーター・アイビー
1969  

アラバマ州で、音楽家夫婦の元に生まれる

1976   ピアノ、バイオリン、ベース、ユーフォニアム、聖歌隊で歌など習ったがどれも練習が嫌いですぐにやめる 
1982  

野球を始めたが、飛んできたボールを取ろうとして頭にぶつかり野球はやめる 父とロッキー山脈へ2週間登山に行く 父は、どんどん先に進んでいき山の中 たびたび一人きりになった 空腹な上、靴下まで濡れた状態、重い荷物で不満ばかり口にした そこへ父が振り返り、最高の笑顔を見せ 「雪の日であろうと、雨の日であろうと........」アメリカ郵便局の信念の言葉を口にした 瞬間、100%の不幸から100%幸せな気持ちに大きな心の変化が起こる

1983  

母の車のタイヤ2つがパンクし、車の取扱説明書を読んでパンクを直し、取扱説明書を読んで自力で家まで運転して帰る

1986  

国語で父との登山のことを作文に書き、先生がみんなの前で涙ながらに読んでくれたとき、何かに真剣に取り組めば、自分の心を表現できるんだとわかる

1988   何を勉強したいか分からなかったので大学進学は親に断り、一人暮らしを始める大工さんやBMWの車の修理工場で働く
1989   75年式BMWのバイクを購入(今でも所持)1ヶ月後には、3000km離れたロードアイランド州まで行き住み始める
1990  

RISD(ロードアイランドスクールオブデザイン)入学 自分の手を使うこと、人と一緒になって作り上げて行くこと、いつも何か発展させていくことができる、という3つことを大事にする

1992  

デザインのコースより、ガラスを選択する 200年前に建てられた古くて薄汚い工場に住み始める しかし、そんな状況でも日常の生活の中にこの上ない美しさを毎日感じられるとても素晴らしい場所でした

1995   シアトルでガラス作家のアシスタントになる この経験が私の基盤となる
1997   自分の作品を作りたいと思い、ロードアイランド州に戻る 窓の光から世界が回っていることが感じられた
2000  

ミュージアムプロジェクトで大きなガラスの花制作のため来日 妻に出会う

2001   ヘイスタックマウンテンクラフトスクールにて教える 壊れたガラスを修復することを始める 失敗の繰り返しで、昔先生が言った「doing is thinking」の意味が分かる
2002  

想像したことのない経験をしてみたいと思い、私の妻と一緒になり日本へ 日本人の方が、私の作品をより理解してくれることがあるが逆のこともある 愛知の大学で教えていて日本語があまりできなかったので、数年の間は、とてもシンプルな作品を作っていた

2004   使うことに意識を向けるようになる そして、自分が使いたいと思うものを発表するようになる
2007   教えることを辞め、小さくてシンプルな工房を建てる
舞良雅子
1961 岩手県宮古市、海辺の町で生まれ育つ 子供の頃から作ることに興味を持ち、高校時代は美術部で彫刻の基礎を学んだ
1980

岩手大学教育学部特別教科教員養成課程(美術・工芸)入学 彫刻研究室に1年通うが、それとは対照的な繊維による造形や機能あるものを制作することの新鮮さに惹かれ染織を専攻する

1985

同専攻科を修了 既成概念にとらわれないテキスタイル制作が興味の対象だ         ったが、その軸のひとつが対局にある伝統的に確立された技術の習得と思い 蟻川紘直氏に師事 染織を2年学んだ後独立、アートとしての表現と『使うもの』の制作、発表を並行す

1991

インターナショナルクラフトコンペティション(ミュンヘン・ドイツ)米

1992

今輝いている女性達展(難波高島屋・大阪)では機能のあるものと無いもの を混在させインスタレーションをする

1998

特別な技術はあえて使わず、視点を変えた作品に意識が向かう 布と暮らす展(リビングデザインセンターOZONE・東京)
岩手大学非常勤講師(〜2005)

2003 布を知るワークショップ(岩手県立美術館)では機を使わず織りの原理を用         い4×8mの布を制作京日仏会館ポスター原画コンクール入選
2004 ニードルワークで繊維を繋げる作品を制作、朝日現代クラフト展招待出品 (阪急うめだ本店・大阪)岡県津屋崎町に住居、アトリエを移す
2005 茨城県つくば市で2年間制作
現在は岩手県の盛岡と宮古で制作をする
1990
2002

2003

日本クラフト展優秀賞(松屋銀座・東京)
ジャパンクリエーション2003テキスタイルコンテスト
シルク部門賞(東京国際展示場)
岩手県美術選奨

このページの先頭へ
ギャルリももぐさ 〒507-0013 岐阜県多治見市東栄町2-8-16 TEL:0572-21-3368 FAX:0572-21-3369 ■お問い合わせ・通信販売について