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沓沢佐知子展

朔と望

2024.3.9 sat–3.24 sun
11:00–18:00

3.13 wed, 19 tue休廊
作家在廊日3.9 sat, 10 sun

出品内容

彫刻 茶器 食器 ほか

「朔の料理茶会」

3.9 sat 11:00–13:30 / 15:00–17:30
3.10 sun 11:00–13:30 / 15:00–17:30
(予約は終了いたしました)

朔と望

一軒家の茶寮を構える京都謝小曼の中庭で、等身大の鹿の彫刻を初めて見た時、この作者はただ者ではないなと感じた。素材や技術、コンセプトなどの作品情報を意識させず、作者と対象が一体化して作られたもののように思えたからだ。後になって、美大で彫刻と教職課程を学び、その後焼物作家へと活動の幅を広げながら活動している沓沢佐知子という女性であることを知り、驚いたと同時に自分と似たような足跡に親近感を持った。パートナーである沓沢敬と営む「朔」という予約制の料理屋をされていることが分かり二人に会いにいった。
三重県のちょうど真ん中辺り、山道を上っていった先の美杉に朔はあった。駐車場から玄関までのアプローチの石畳を歩いた。敬さんが敷いたと思っていたら、なんと佐知子さんが川から拾ってきた石で築いたという。料理は栃木県の大黒屋旅館で修業された敬さんが竈も使って調理され、水は川から引き、排水は洗剤を使わずビオトープに流すという自然の循環をうまく利用する構造になっていた。物理的な拘束条件もあるだろうが、この土地への愛情と場への馴染み具合が伝わってきて、尚更、お二人の出会いや歩みがどうやってこのような生活に結びついたのか興味が湧いた。
敬さんは音大の声楽を出てから、ある確信を持って料理の世界へ。不思議な縁があって大黒屋のギャラリーで展覧会をしていた佐知子さんと出会い、結ばれたことは必然だったろうと思う。というのも二人とも学んできた西洋アカデミズムが異国の文化であり、日本人であるという現実とのギャップを感じて模索されていた時だったと想像するからだ。東日本大震災もあり、佐知子さんの出身地である三重県に移住。何も無いところから少しずつ地歩を固めていき、自然の営みと一体化した現在の「朔」が生まれた。そこで動物たちと共に暮らしながら、地元の人たちと交流してジビエなどの食材を調達し、自分たちも農作業をされている。生活を垣間見て、あの鹿の彫刻の存在の自然さが理解出来てきた。
主体と客体を分ける西洋アカデミズムではなく、八百万に神を感じる循環的宇宙を三重の土地に根を下ろしたことで感じ、力強い生き方に結びついている「朔」。月の満ち欠けで生活の基準を作ってきた東アジア文化圏の太陰暦では朔は月の始まりの日であり新月の意味だが、実際は地球の影に隠れて見えていないだけで月はずっと存在している。二人の歩みが少しずつ光に照らされ、満月である望に向かう。朔のこれからが楽しみだなあという印象を持って三重の山奥からの帰途に着いた。
今展では料理会に使用する器や茶道具などの焼物類、朔のある美杉の植物などを利用した彫刻などが出展される。自然に畏怖の念を懐きつつ交信する創作活動の賜物を、今から楽しみにしている。

百草 安藤雅信

「朔と望」沓沢佐知子展・「朔」の料理茶会

朔さんへの道のり・・・久居美杉線を右に曲がり川を越え真っ直ぐ進み左折。段々道が細くなり空気が変わっていく末に露われる姿。違和感なく配された佐知子さんによる敷石が道標のようにいざない、あたかも森の一部のように佇む小屋へ。その続きとして供されるお料理。朔へ訪れた時の感動は色褪せることがありません。それは、ただ美味しいというだけではない、食の中に本来含まれることを身をもって豊かに体験させてくれる場所なのです。
いったい「朔」を百草で伝えられるのか…。どのように?正直不安ではありましたが、百草でお二人との打ち合わせを重ね、今では「これは面白いことになる!」という期待と確信を感じております。
「朔」にいらっしゃったことがあるお客様には百草での「朔」を新鮮に体感頂けましたら。また「朔」を未体験のお客様には今回展をきっかけにいつか「朔」への道のりを目指して頂きたいと思います。

安藤明子

私が初めて安藤さんの器を知ったのは20年近く前。当時住んでいた那須の二期クラブのフレンチレストランでした。確か深めのやわらかな白いイタリア皿だったと記憶しています。それは器として、彫刻としてテーブルの上にありました。それなのにお料理を受け入れる余白というか隙もあり、美味しそうに調和している。そんな姿に魅了され、衝撃を受けた事をはっきり覚えています。形の先に色んな要素が凝縮されていると感じました。器のようなものを作り出していた私にとって目指す要素がそこにはあり、それ以来安藤さんの器を手に取る度、沢山の事を学ばせていただいておりました。

またその少し後、那須の図書館で偶然にも手にした本が、明子さんの著書「安藤明子の衣生活」でした。明子さんのサロンは(筒状に縫い合わせた)布一枚を体に巻きつけ、紐でしばるという、いたってシンプルなものでした。布という平面が立体の衣服になる。さらに用途をかえた機能がある。これまた単なる服を超えた姿は凛としておりどのページにも釘付けになりました。いつか自分の内面が整い、その機会がきたら私も身につける事ができるだろうかと思い続けてきました。

お2人に共通するのはものの奥行き。一方向でなく多角的に存在し、普遍的であり様々な観点からの美しさを携えていること。

そんなお2人が作り出した築100年を超えた古民家を移築してつくられたギャラリー空間は、独特の静寂さや光と影に満ちていて、訪問する度に背筋が伸びました。

そして時を経て、この度ギャルリ百草にて作品を展示する機会をいただきました。色々迷いながら流されながら、でもここに辿り着けた。手探りで進んできたら開けた美しい場に出たような感覚です。そして振り返ると混沌とした中に、けもの道が見えるような気もします。それは細くて微かな道だけど、確かに在る道。見えないもので導いてくださり、またこのような機会を与えて下さり、お二人には感謝の気持ちでいっぱいです。

今回の展示は、そのけもの道を通って辿り着いたその先を、百草の空間で形にできたらと思っております。今の私が見えている景色。緊張と静かな興奮で準備しております。
どうぞよろしくお願いします。

沓沢佐知子

沓沢佐知子 プロフィール

1976 三重県生まれ
1995 京都教育大学 美術学部彫刻専攻入学 美術で食べられると思っていなかったので美術の先生になればなんとかたずさわれるかと教育大を選ぶ。2年生の時高校からの友人とインドにバックパッカーの旅に2ヶ月ほどいく。色々模索中。
1999 そのまま院に進み彫塑を中心に制作発表する。教授が日展系だったことより日展、日彫展などにも出展、入選するが、裸体像ばかりでつまらないので2回ほど出してやめ、人体像以外の立体も作るようになる。主に粘土を素材にして原型作りをしていたので、型取りして樹脂、セメント、粘土(中を空洞にする)に置き換えたりが多かった。粘土はテラコッタや野焼き、黒陶にした。野焼きと黒陶から土を焼くという魅力にはまる。
黒陶は低下度で焼くため、土が焼き固まりすぎず歪んだりしない。そのため立体のフォルムを崩さない。また煤を吸着させる技法は、土が持っている本来の表情や質感を出すため立体彫刻に向いていると感じ探求に力を入れる。さらなる技法を教えてもらいたく散々調べ九州で黒陶を専門に制作されていた陶芸家 鷺島天翔さん(故)に行き着く。連絡を取り教えてもらえることになり、京都から九州に何度か通う。最終的に黒陶専門の窯を三重県の私の実家の土地に一緒に作ってもらう。(変わったおじさんで人生変わるから坊主にしろとうるさく、しつこいのでいちど坊主に近い髪型にした)
2001 大学院卒業。はっきりした方法は分からないがものづくりで生きていきたいと思う。とりあえず高校の美術非常勤講師になる。その傍ら京都の町中から離れた木材倉庫を借り、居住兼アトリエにして制作を続ける。知り合いのつてで石屋さんのアルバイトもした。(小さな石彫なんかも彫る)
安くて省エネなアメリカ製の電気窯も購入しテラコッタ、黒陶の彫刻などを作っていた。
2002 2月 京都の小さなカフェギャラリーで個展。そこにたまたま旅行で来ていた 栃木県板室温泉 大黒屋の従業員の女の子が書き残したメモ「よかったらうちのギャラリーでも作品展をしてほしいな。」の一言と連絡先をみてすぐ連絡する。8月大黒屋ギャラリーで個展を行う。
2002 8月 個展中、大黒屋で副料理長だった敬と出会う。→期間中に結婚が決まる
大黒屋の個展の帰り道、東京ビックサイトで行われた 村上隆主催geisai#1にも出展してみる。
2002年12月には那須に引っ越し、結婚。
2003 長男出産
2009 長女出産 子育てしながら制作はなんとか続けるが子育て優先時期。
2011 東日本大震災。震災の影響で計画停電なども経験し、今まで何も考えず自分が福島の原発からのエネルギーを使い作品を作っていたことにハッとする。焼くということに一度立ち止まり、新聞紙や紙のパルプを素材にしたものづくりをはじめる。
2011 7月 その当時那須にあった、大好きだったニキ美術館での2人展を最後に那須を去る。
2011 8月– 三重に移住。自給できる環境、子供の学校通学ができるかを条件に居住地を選ぶ。
2011–14 経済を支えるため小学校常勤講師となる。校長先生が理解ある方で私の経歴を話したところ、美術専科として勤務できた。子供たちに図工を教える事はすごく楽しい経験だった。自分の制作は工房もないためお休み中。また小学校で太鼓の授業があったことより太鼓にはまり、地元美杉の太鼓保存会チームにも入る。太鼓や篠笛をお祭り等で披露するようにもなる(継続中)
2015 朔オープン。この地で朔という場づくりをして生活を営むということは野生動物、植物、菌類、微生物をはじめ、目に見えない領域に暮らす様々な生きものたちと共に在るということに意識を向ける事でもあった。生命の循環から外れた存在の我々だがこの山の、この場の管理人として山のかみさまに選んでもらったのかと思いながら日々朔に携わる。
2017 工房もでき、朔をしつつ制作を再開。朔にて日本料理を出すため、器の形態をしたものも多く作るようになる。また黒陶窯2号も自宅に自作。1号はバーナーで温度を上げていたが2号は山に落ちている木だけで焼成できるよう省エネ型にしてみた。素材もこの地にある、草、稲藁、籾殻、砂、土なども扱うようになる。 
2019年ごろ 自宅に茶の木が沢山自生しており、そのお茶を美味しく飲みたい事と老小慢との出会いより中国茶器も作りはじめる
現在 朔も9年目。この地に根付き、自分の中で軸ができてきたと感じる。
それは雑草のように雨風に揺れるが割としっかりしたもの。

今だに彫刻家、陶芸家、造形作家、はたまたネイチャー系作家、DIY系作家等とも言われ、自分でもどの立ち位置にいるのか境界が分からないが、生きることとつくること、自分の中はシンプルでいいバランスをとれてきたかな。と思う今日この頃。

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奈良との県境三重県美杉町という小さな里山で、1日限定12名様の料理屋「朔」を営み早8年。近くを流れる雲出川と伊勢湾の恵みを繋ぐこと、そして「生々流転」大きな循環に身を置くよろこびを感じていただけるような装置の1つとして料理を提供させて頂いてます。

十数品目(週替り)からなるコース料理は、天魚、伊勢、熊野灘の海の幸、鹿など、その時ご縁いただいた今、ここの料理。自家で育てた冬期灌水不耕起栽培天日干し米を沢の水で研ぎ、薪をくべて竈門で炊く。シンプルに自然の力を借りて作る〆のご飯は朔のメイン料理で、5種類の食し方で楽しんでいただけます。

今回、百草さんでの料理会では、彫刻(大地)を器に見立て料理を盛ること、食していただくことで皆さんに楽しんでいただけましたらと思います。どんな料理になるか私も今からワクワク、ドキドキで、その時のいただけるご縁をとても楽しみにしております。ご飯に関しては、只今安藤さんと楽しい仕掛けを考案中ですのでご期待いただければと思います。

「百草」という場で憧れのお二人と何かを作れることは私にとってとても幸せなこと。こういった場を提供してくださった安藤ご夫妻には感謝しかありません。
そして、沓沢佐知子という作家の一ファンとして、料理を盛ることができる歓びをかみしめたい。そんな思いも含めて楽しんでいただけましたら、と。

どうぞ器と料理、「朔と望」を是非、楽しんで帰ってくださいませ。

朔 沓沢 敬

沓沢 敬 プロフィール

1970 福島県福島市に生まれる
1989 坂本龍一に憧れ武蔵野音楽大学声楽学科に入学。作曲学科に入るためのスキルが乏しくとりあえず声楽へ。しかし、学内の技術の高さに圧倒され、落ち込むどころかのめり込み、クラシックの世界に目覚める。
同時期にアルバイトでバーテンダーの世界に入り、お点前の美しさ、空間をつくるということに刺激を受ける。
1994 大学院に進み、西洋音楽の中でも世俗的、民俗的なもの、そして東洋に惹かれていく。バイト先ではジャズ、R&B、ワールドミュージックなどが耳に入るようになり、土着した音、必要があって生まれる音に魅力を感じるようになる。このことをきっかけにブルガリアへの音を探す旅に出る。
1996 大学院修了間際になって確信したこと。「自分は地に足がついていない」自分は何者なのか?何故生きているのか?人生で初めて本質というものに触れたような氣がした。これを機に意識のベクトルは足元へ、土へ土へと向かう。そんな中、友人の伝手で栃木の板室観光ホテル大黒屋に訪問した際に、料理人矢野和美と出会い衝撃を受ける。迷いなく日本料理の世界へ入ることを決め、大学院修了と同時に大黒屋調理部の門を叩き入社。保養と展示をコンセプトとする大黒屋の現代アート、陶芸などから美術に対する興味が開花し、料理と美術それぞれからものごとの本質を学ぶ。
2002 大黒屋ギャラリーにて彫刻家濱中佐知子が個展。出会って3日で結婚が決まる。
2003 第一子が生まれ、改めて生き方を模索、自身の声を聞くことの重要性を再確認。
2005 大黒屋を退社。イメージをカタチにするために始動する。
2006 bar×gallery朔を那須塩原市の森の中で開業。大好きな造形作家で隣りの住人の松原賢氏の影響を多大に受けて自力で空間をつくる。
2008 那須二期倶楽部にてBARの世界で憧れていたBARラジオの尾崎浩司氏とご縁があり刺激を受ける。
2011 東日本大震災で震度6の揺れを経験、福島第一原発の影響で那須エリアにも放射能が降り注ぐ。コンセントの向こう側を初めて意識する。家族の安全を第一に考え、放射能測定チームを立ち上げる。まずは現状把握に努める。
「未来を生きる世代のための準備をせよ」という自分の声を聴き、この場所を離れ良質な水、自給できる環境、安価の土地を求め三重県美杉町へ引越しを決める。
2ヶ月で貯金は底をつき、メナード青山リゾートハーブ園でアルバイト。初めてソフトクリームを巻く。
米作りをスタート。生き物の循環の中でお米が育ち、水の浄化装置にもなる冬期灌水不耕起栽培を知り、迷いなく始める。
2013 今後の我が家の経済について夫婦で話し合い、茶畑の傍らにあった小さな古民家を改築しレストランを開くことを決める。自力での工事、資金も乏しい中、とにかく身体を動かし続けることで出会った素材たち、人たちと向き合い建築を進める。大きな流れに身を委ねることの重要性に氣づく。
「朔」の意味する「全てを浄化して0から始まる」をコンセプトとする。
陰陽のバランスを整え、ニュートラルを作り出す装置として朔の場を提供することが使命だということを確信する。
2015 山の神様、目に見えない存在に見守られ、朔オープン
2020 ハーフセルフビルドで自宅を建築。土中環境改善家の今西氏と石場建てをすることで土の中の世界を初めて意識する。
宇宙と土中の微生物が会話していることを知り、人間の視野の狭さを痛感する。

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〒507-0013 岐阜県多治見市東栄町2-8-16
多治見ICより車で10分
JR多治見駅より東鉄バス13分「高田口」下車1km
tel. & fax. 0572 21 3368
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ももぐさカフェ
12:00-18:00(L.O 17:30)
軽食、おやつ、ドリンク各種ご用意しております。

スケジュール
4.6 sat– 4.7 sun 交種茶会 菓子屋ここのつ+安藤雅信
4.13 sat– 4.29 mon 矢野義憲展