坂田さんの眼と言葉 菅野康晴/『工芸青花』編集長
坂田和實さん(1945年生れ)の唯一の単著である『ひとりよがりのものさし』は2003年刊、『芸術新潮』で1999年から2003年までつづいた連載をまとめたものです。全50回で、毎回、坂田さんがえらんだ1、2点の品物と、1000字ほどの文章を掲載しました。
以下は『ひとりよがりのものさし』から抜書きした文です(数字は章数)。本の文章は坂田さんの日常や回想などが気負いなくつづられたたのしい読物ですが、ところどころに、以下のような「みる人」としての信条が記されています。同様のことは、このあとの文章や談話でもくりかえし語られており、いわば坂田さんの信念のようなものです。
5|その国の文化の深さは、巨大な音楽堂や立派な美術館をいくつも持つことではなく、街を走るスポーツカーの台数なんかにポロリとあらわれてしまうものかも知れない。
7|小谷さんは、骨董や道具の美しさは、遊び心を持っていないと感じることが難しく、一旦、その美しい線を自分のものとして会得してしまうと、あとは、たとえ西洋の物であろうと東洋の物であろうと、古代の物でも現代の物でも、又、高価なものでも道端に落ちているものでも、その選択は単に応用問題にすぎないということを、僕達、若い仲間に教えてくれた人。
18|ふたつの土器は国も時代も異なるけれど、物は形と素材感だけを頼りに選んで良いのだ、いや選ぶべきなのだという単純で大切なことを僕に教えてくれる。
24|人の選択がバラバラであるという多様性こそが、その社会の成熟度の高さや健全性を示していると、つい僕などは思ってしまう。
36|製作技術の向上は、不思議なことに作品の真価とは連動しないものらしい。
47|稀少性や時代の新旧、作家の名前など、そんな「肩書」ばかりによりかかった安易な評価はもうサヨウナラ。
49|僕にとって美しさを見極めるということは、他人の価値観に頼らず、自分自身を確立して行くこと。
古道具坂田の定番商品のひとつに銀のスプーンがあります。以前、甍堂の青井義夫さん(古美術商)がこう語ったことがあります。〈銀の古いスプーンはずっと欲しかったのですが、どの店で見ても何となく硬い感じで、使いたいと思えなかった。坂田さんのお店で初めて、柔らかい感じのものを手にすることができました〉(『工芸青花』3号)
坂田さんがいちはやく評価し、眼利きの代表例のように語られるものに、白デルフトやドゴン族のはしご、コーヒーフィルターや雑巾などがあります。しかしそれらをジャンルとして語ってしまうと、「眼」の話にはなりません。むしろ坂田さんの個人主義的、反権威主義的な信念の結果のように思えてきます。
ほんとうは、古道具坂田のスプーンとほかの店のスプーンの差、坂田さんがえらんだ雑巾とえらばなかった雑巾の差を語ることが、「眼」を語ることになるはずですが、その差は言葉では説明できないのかもしれません。坂田さんも語っていません。ただしみることはできます。
「眼」は個別的であり、「言葉」が一般的なものであるなら、『ひとりよがりのものさし』の刊行後、坂田さんが多くの人に支持されるようになったこともうなづけます。私も勇気づけられました。ふえたのは「言葉」の共感者だったのかもしれません。
17|まだあまり世間では評価されていないけれど、ちょっと見方や提示の仕方を変えてみると、なる程、案外オモシロイ、というような物を捜してくる訳で、そんな物が今ごろその辺りにころがっているはずがない。
まだ評価されていないということは、まだ言葉で語られていないということです。坂田さんはいつもそうした物をさがしています。言葉は便利ですが、ときに窮屈なこともあります。『ひとりよがりのものさし』をわすれて、つまり坂田さんの言葉にもたよらずに、坂田さんがあらたにえらんだ物をみてみたい、と思っています。
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