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石原稔久 |
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1973年 |
大阪に生まれる。福岡県直方市に移転。
生まれつきアトピー性皮膚炎で、小・中・高校と思春期はこの病気でよく悩んでいた。
そのことが自分自身のものの考え方の軸になっていったように思う。新聞記者の父と学校教員の母の間に生まれる |
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幼少期 |
学校の宿題などは一切せず、山や川で遊んでばかりいた。
絵本や児童文学を読むことが好きで、ミヒャエル・エンデやフィリッパ・ピアスなど、学校を休んで読み耽っていた。
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1988年15歳 |
地元の画塾・阿部塾に通い、毎日石膏デッサンを描く。
講評のときは、塾生同士で熱く論評し合っていた。
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1991年18歳 |
武蔵野美術大学彫刻科に入学。
木を彫ったり、鉄を溶接したりして作品を作る。
ものを作る面白さを味わう。 |
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1995年22歳 |
大学を卒業後、父のすすめで陶芸の道へ。
笠間窯業指導所に入学し、ロクロの基本を学ぶ。
大学での自由な制作から一転、制約のある陶芸が窮屈だった。
その頃、笠間や益子の陶芸家の窯焚きや窯築きを手伝いながら、薪窯について学ぶ。
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1997年24歳 |
指導所を卒業。福岡に帰り、本格的に陶芸を始める。
ロクロの窮屈さへの反動か、手びねりで作品を作ることにした。 |
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2000年27歳 |
福岡県宮若市に移転。
古谷道夫の書いた「穴窯」という本を読みながら、2ヶ月かけて穴窯を築窯。
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2004年31歳 |
ゆうど が企画した、佐賀の古民家での展覧会「開明の道を編む」で 初めて作品を展示する。
この開明の道には4回参加し、企画側の仕事にも触れる。
もの作りの仲間が増えていき、自分のやりたい場所や世界が定まり始める。
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2006年33歳 |
梅屋(福岡)にて初個展。以降、各地で個展を開催。
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2011年38歳 |
絵本冊子を制作。
東日本大震災の一週間後、北九州の動物園で絵本人形展を開催。
多くのイベント自粛が続く中、「こういうものこそ 今やるべき」との園長の強い後押しで、開催にこぎつける。 |
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2013年40歳 |
フランスで行われた「パリ14区セラミック展」とメルシエアソシエーションでの展覧会に参加。
右も左も判らぬ中で、何人かの友人と出会う。 |
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2014年41歳 |
縁あって、ほぼ日刊イトイ新聞カレンダー2015のデザインを担当する。 |
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2015年42歳 |
2013年の渡仏で出会った友人の企画で、フランスのリールで初個展。 |
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2016年 現在 |
器の中に彫刻性を感じながら作るこの頃。 |
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