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1969 |
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アラバマ州で、音楽家夫婦の元に生まれる
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1976 |
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ピアノ、バイオリン、ベース、ユーフォニアム、聖歌隊で歌など習ったがどれも練習が嫌いですぐにやめる |
1982 |
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野球を始めたが、飛んできたボールを取ろうとして頭にぶつかり野球はやめる
父とロッキー山脈へ2週間登山に行く 父は、どんどん先に進んでいき山の中 たびたび一人きりになった
空腹な上、靴下まで濡れた状態、重い荷物で不満ばかり口にした
そこへ父が振り返り、最高の笑顔を見せ 「雪の日であろうと、雨の日であろうと....」
アメリカ郵便局の信念の言葉を口にした
瞬間、100%の不幸から100%幸せな気持ちに大きな心の変化が起こる
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1983 |
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母の車のタイヤ2つがパンクし、車の取扱説明書を読んでパンクを直し、取扱説明書を読んで自力で家まで運転して帰る
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1986 |
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国語で父との登山のことを作文に書き、先生がみんなの前で涙ながらに読んでくれたとき、
何かに真剣に取り組めば、自分の心を表現できるんだとわかる
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1988 |
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何を勉強したいか分からなかったので大学進学は親に断り、一人暮らしを始める大工さんやBMWの車の修理工場で働く |
1989 |
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75年式BMWのバイクを購入(今でも所持)
1ヶ月後には、3000km離れたロードアイランド州まで行き住み始める |
1990 |
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RISD(ロードアイランドスクールオブデザイン)入学
自分の手を使うこと、人と一緒になって作り上げて行くこと、いつも何か発展させていくことができる、
という3つことを大事にする
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1992 |
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デザインのコースより、ガラスを選択する 200年前に建てられた古くて薄汚い工場に住み始める
しかし、そんな状況でも日常の生活の中にこの上ない美しさを毎日感じられるとても素晴らしい場所でした
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1995 |
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シアトルでガラス作家のアシスタントになる この経験が私の基盤となる |
1997 |
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自分の作品を作りたいと思い、ロードアイランド州に戻る 窓の光から世界が回っていることが感じられた |
2000 |
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ミュージアムプロジェクトで大きなガラスの花制作のため来日 妻に出会う
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2001 |
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ヘイスタックマウンテンクラフトスクールにて教える
壊れたガラスを修復することを始める
失敗の繰り返しで、昔先生が言った「doing is thinking」の意味が分かる |
2002 |
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想像したことのない経験をしてみたいと思い、私の妻と一緒になり日本へ
日本人の方が、私の作品をより理解してくれることがあるが逆のこともある
愛知の大学で教えていて日本語があまりできなかったので、数年の間は、とてもシンプルな作品を作っていた
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2004 |
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使うことに意識を向けるようになる そして、自分が使いたいと思うものを発表するようになる |
2007 |
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教えることを辞め、小さくてシンプルな工房を建てる |
2013 |
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スタイリストの高橋みどりさんと始めた工房コレクション"KOBO"を発表
デザインするにあたり、みどりさんの使いたい器案をもとにサンプルを作り、それを実際にみどりさんに使ってもらう
そしてまたその感想をもとにサンプルを作るという作業の繰り返しを行った
時間のかかる地道な作業となったが、私にとって器をよく知る彼女と仕事をすることはとてもいい経験になった
このKOBOラインを通じて私の工房で働くみんなに安定した技術的な基礎と、
私が人生の中で集めた吹きガラスの知識を伝えていきたい
それが私の目標でもあります
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