________________________________________________________________________________________________________________
3.11の地震が起きた時 わたしは東京に居ました。
テレビのない生活で 夜まで地震の被害の大きさを知りませんでした。
夜になってインタ―ネットで原子力発電所の屋根が吹き飛んだ映像を見て メルトダウンした、と判断した夫と避難しました。
避難先から友人の安否を確認し避難を受け入れたり援助することを始めました。
毎日避難できない人々の不安や悲しみのことと放射能汚染のことを考えて
なにができるのか自問自答の日々、でも体も心もショックで固まっていました。
そんな中、友人の一人は「避難しない ここに居て、することがある。」とすぐに行動をしていました。
友人は音楽家なのですが すぐにライブを配信しました。
映像で見た友人は震災から2週間もたたない間に痩せ細っていました。
友人の演奏は、まるで先の見えない真っ暗な道を照らす光でした。
降り注ぐ慈愛の雨のように 固まった体とゆれる心にしみ込む音でした。
「ここに居て演奏しているから安心して、みんなができることをしていこう。」と言っているようでした。
私はこの震災のショックで生まれて初めて、人はすべて縁がつながっていて
遠く離れたあったこともない誰かの悲しみも、私に関係ないことではない、ということを知りました。
誰かの苦しみは私の片割れであると思いました。
私には何ができるんだろうと思いながら
骨身を削って活動を続ける友人に
物資を届けようか聞いたら「何もいらない、毎日一枚、動物の絵を描いて欲しい」と言われました。
あの時みんなに本当に必要だったのはごはんや乾電池だけではありませんでした。
みんな不安で眠れず 情報に翻弄され 心身が疲弊していました。
毎日一枚の絵は本の中から挿絵を選ぶように書いています。
悲しみに少しでも優しい時間を贈りたいと思いながら
不安な気持ちにすこしの勇気がでるように
毎日の一枚に託しています。
それは私の祈りのかたちです。
ここからはじまるすべてのひとに
中西 直子 |