レコード盤のように
野球はチームの性格の違いで、先攻と後攻の有利さが変わる。レコードもA面の方にシングルカットされやすい軽やかな曲を配置し、B面に長い曲や重い曲を持ってくるとか、逆にA面でインパクトを与え、B面は爽やかにするなど、作り手も聴き手もAB面の使い分けをすることで、レコードには様々な楽しみ方があった。
竹次郎さんの展覧会を企画する時、一望齊と竹次郎、二つの名前の使い分けの説明を求められて困ることがある。しかし、二つの名前にはっきりとした境界があるわけでなく、作者にとってはどちらも自分であり、レコードのように観る側が楽しみ方を見つけていけば良いことだと思う。
長谷川一望齊の余技として作り、長谷川家で使われていた生活道具を中心にした展覧会を始めようと本名の竹次郎に焦点を当てて11年が経った。それ以来続く竹次郎展で、その時々に求めてきた道具は、聴き込んだ音楽がその時代の香りや記憶を運んでくるように、家族や子供たちが使っていた時の姿を思い出させる。竹次郎さんの作品は造形や素材としての価値だけでなく、一つ一つに使われてきた年月を刻み込むことが出来る本当の財産になるものだと思う。それはその時々のテーマに対し、作り手の愛おしむ気持ちが作品に宿っているからであろう。今回の色々な動物たちもそのような道具になっていってくれることを願う。
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