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古今東西 暮らしの道具展 I
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2009 9月12日(土)〜9月27日(日)
11:00〜18:00
会期中無休
幾一里(古道具・日本)
倉敷意匠(手仕事)
こいずみ道具店(プロダクト製品)
boncoin(古道具・フランス)
在廊日
9月12日(土) 幾一里 倉敷意匠分室 boncoin
9月27日(日) 幾一里
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ももぐさカフェ
ルヴァンのパンを使ったランチをお召し上がりいただけます |
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幾一里 荒井徹 |
1945年 |
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京都府生まれ |
1964年2月
3月 |
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高校卒業前になぜか信州旅行、足跡一つない雪の小諸懐古園から見る浅間山と千曲川に感動、信州のとりこに
以降、登山や旅行で求める土産に凝り、その土地の民藝、民俗に熱中
電器メーカーに晴れて就職
新幹線開通、東京五輪等。温故知新、気骨ある元気な日本でした
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1997年10月
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趣味が高じ自宅にて骨董店を開業、33年間勤続の会社を無鉄砲にも退社、会社・家族に大感謝です
店名の幾一里は、若い時求めた俳人・河東碧梧桐の書から拝借、千里、万里の道も一歩からと解釈
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2000年4月 |
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京町家の弊店が、京都市景観・まちづくりコンクール優秀賞に、この頃から町家ブームおこる |
2008年1月 |
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百草さんのご好意で企画展に参加(冬百種展・京都から) |
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倉敷意匠分室 タナベ シンスケ |
1961年 |
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岡山県生まれ |
1981年 |
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シルクスクリーン印刷工場として創業
ほどなく、技術的向上心の極端な欠如という意味で、職人としての資質のなさに気づく |
1989年 |
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「倉敷意匠計画室」と社名を改め、生活雑貨における自社ブランド製品の開発を始める
以来、常に移り変わる市場の要求に対する理解力の不足と、適応能力の限界に苦しみ続ける |
2001年 |
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マーケティングも戦略もない弱小メーカーの商品競争力は、つまるところ個人的嗜好の範囲内にしか存在しえないとの考えに至り、別ブランド「倉敷意匠分室」をスタート |
2006年 |
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あくまでも制作側の嗜好を提示する場所として、倉敷意匠分室カタログ「職人仕事の日本」を発刊。現在4号までを販売中 |
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小泉 誠 |
学生の頃、木工作家を目指すが運良く職に恵まれず、「空間デザインをすると、もれなく家具デザインがついてくるよ!」という甘い言葉にのせられてデザインの世界に飛び込む
デザイナーに支持し6年後に独立。現在は生活用品から家具.空間.建築にいたるまで生活に関わる全てのデザインに関わる
2003年にはデザインを伝える場として「こいずみ道具店」をはじめる
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boncoin
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1998年 高知にOPEN.
フランスの昔の仕事。使われていた道具
ゆっくり流れていたに違いない時間
そんなモノ、そんな時間を紹介
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無垢な姿 |
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千利休と柳宗悦が同時代に生きていたら、親交を重ねただろうかと時々考える。二人とも作り手ではなく使い手であり、位の高い道具に頼らず、自分たちの身の回りから美しい道具を見つけ出したところなど志向は共通している。しかし、仲違いするような気もするのが、利休は選りすぐった道具の使い方を重要視して、最後は狭い茶室に辿り着き個人的なレベルの高みを目指したが、宗悦は道具の細かいところはさておき、機械文明に対抗して大きな民芸館を建て、作り手の運動にしていった点である。
民芸は職人仕事を芸術にまで高めようとしたが、むしろ秀吉に命まで差し出して個人の美意識を守り通した利休の方により芸術性を感じる。利休の革新性は長次郎などに制作を依頼するプロデューサーとしての側面より、モノに対する厳しい美意識の上に、時・場・光などを利用して何でもない道具を別次元に格上げさせた手法にある。その一つに見立てがある。魚釣りの魚籠を花入に見立てた話は有名だが、それを床の間に掛け、道具は空間やそのしつらえによって見え方が変わることを知らしめた。つまり道具はそれ自身が独立して存在するものではなく、使い方によって美しくも醜くもなるということである。
一方、柳は「美は用の現れである。用と美と結ばれるもの、之が工芸である。工芸に於いて用の法則は直ちに美の法則である。用を離れる限り、美は約束されてをらぬ。」とことさら用を重要視しているものの、実際水切れが悪そうな土瓶や片口、両手でしか持てない重そうな器を見ると、用に対してどれだけ厳しさを求めていたか疑問である。当時は西洋の美術に対抗するために重厚さを必要としたのであろうが、民芸運動の中に使うことの視点がもっとあれば、作られるもののバリエーションも増え、普遍性を得たのではないかと思う。
使い方で見え方も変わるのであれば、ただ道具として存在している無垢の姿のものの方が、使い手の関わる余地が残され楽しめるのではないだろうか。今展の参加者は、美しさを押しつけず、無垢な姿の道具を良く御存知の方ばかり。盃持参で居酒屋に行かれることもある幾一里の荒井さんは、プロフィールを読んでも分かる道具好き。そのピュアな心持ちをいつも見習いたいと思う。パリの蚤の市で、目に留まったものを愛おしく手に取る姿が浮かんでくるのはボンコアンの松村さん。彼女が選ぶモノ・作るモノには、用途を越え、存在に無垢さが感じられる。倉敷意匠のタナベさんは、自分が欲しいと思うモノを製品化しているかのようなプロデューサー。今に残る職人仕事を、現代の暮らしに繋げるべく情熱を注ぐ。デザイナーの小泉さんは、不要な装飾やクールさで逆に存在を主張するデザインとは違い、モノが在りたがっている自然な姿を作り出す名人。生活のリアリティから外れることのないデザイン力に安心する。どう使おうか考えながら、展覧会を観ていただけたら嬉しい。
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百草 安藤雅信
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