幾一里 荒井 徹 |
1945年 終戦後のどさくさの晩秋、京都は重文・壬生狂言で著名な
壬生寺近くで生まれる(現在地)
1964年 高校卒業前の2月に父のアドバイスで信州旅行、足跡一つ
ない雪の小諸懐古園から見る浅間山と千曲川に感動、信州の
とりことなる、登山趣味へ そして春、電器メーカーに就職
社会人としてスタート
その後、山の行き帰りに求める土産に凝り、その土地の民藝
民俗に興味、骨董趣味のきっかけとなる
1997年 趣味が高じ無鉄砲にも33年間お世話になった会社勤めを
辞し、10月に「座辺の骨董・幾一里」を自宅で開店 店名の
幾一里は、若い時求めた俳人・河東碧梧桐の書から頂戴した
もの、迷わず命名 千里・万里の道もまず一歩からと解釈し
ています
2000年 弊店の町家再生に対し、京都市景観・まちづくりコンクー
ル優秀賞を受賞 この頃から、京に町家ブーム始まる
2001年 5月に初めて東京・広尾にて幾一里東京展を開く 2005年
まで年一回開催
2007年 10月10日に開店10周年を迎える 記念に「祈りと遊び」
をテーマにマイ・コレクション・カレンダーを製作 |
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石井 直人 |
1954年京都に生まれる 小学一年生の2学期に長岡京市に引越し、竹
やぶの中を走りまわる生活
七ツ池のほとりの地面の底から長岡京遺物を採取、飛鳥時代のせんや
土のばく、鉄具等に強い関心がわく
大学で広島方面に転入、大学7年にて卒業 卒論は「医と安藤昌益」
であった
環境問題との出会いから農業を志し、中国山地に入植、3年で限界を
感じ里に下る
白州正子の「隠れ里」を読んで伊賀土楽陶苑に入門 職人さんとの仕
事は大変貴重なものでした
信州より車で放浪、土を求めて種子島、沖縄にたどりつく 沖縄で少
し仕事
自分のなかの陰影に気づき、本州にもどる 亀園の窯にて間借り製作
3年半
丹波町の原野を発見 雑木の伐採から始める 町道の問題から最小限
の建物を建てる 懐玄軒と命名
連房式の登り窯を築く 母屋は八日市の農家を解体移築しました
以来、年に一度の焼成のペースで製作中
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GALLERY 啓 川崎 啓 |
19忘年 古布と革を組み合わせたバッグやオブジェなどのものづくり
を始める
19忘年 京都「ギャラリーマロニエ」にて作品を常設
以後、呼吸するがの如く、生活の中でものづくりが日常化し
ていく
1988年 京都で初の個展を持つ
1992年 京都嵐山で、小さなアトリエを兼ねた骨董屋を始める
9年間ものづくりと骨董の両立を続ける
2001年 寺町通りに店を移転 一生の仕事と思っていたものづくり
を休止、古布を中心に骨董に専念する
ものづくりは今ある為の過程であった、と実感する
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関 美穂子 |
1980年 神奈川県出身
2000年 京都の染織家、堀江茉莉に師事し型染をはじめる
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佃 真吾 |
1967年 近江 長浜に生まれる 少年期パンク・ニューウェイブに
染まる 斜に構えるクセがつく
1985年 大阪に移り、60’SとModsに明け暮れ、音楽活動する
1990年 京都に移りBand仲間の家業である家具工場に勤め木工の道
に入る
1991年 仕事を終えると夜は黒田乾吉木工塾に通う くり盆や木漆
一貫仕事を学ぶ そこで民芸や民俗を知ることとなり、梁山
泊の様な塾での体験を通じて「日本人の木工」への想いをも
つことになる
1995年 運よく京指物の工房に弟子入り 京都の仕事の奥深さを知る
2004年 長い修行期間を終え独立 工房を構える
2005年 民藝寄りの国展工芸部に出品しはじめる
2006年 国展 国画賞受賞 会友に推挙される
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李青 鄭 玲姫(チョン ヨンヒ) |
1947年 大阪生まれ 生後すぐに京都へ 地元の小学校、中学校、
高校へと進み東京の短大を卒業
その間父親が事業の傍ら始めていた小冊子「日本の中の朝鮮
文化」にともなう韓国古美術蒐集を横で見ていた
1970年 結婚し主婦業に専念
1985年 子育てが一段落した頃自らも古美術に興味を持ち始め家計
をやりくりし骨董を集めだす
1988年 父親が京都に「高麗美術館」を開館
1993年 東京神田の「李白」を訪れ打撃を受ける
美術館の宣伝の為にも文化都市京都にこの様なお店が絶対必
要と使命感を勝手に持ち一念奮起
1998年 11月2日様々な悪条件を乗り越え「李青」をオープン
今日に至る
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