ギャルリももぐさ/百草
作品/百草
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青木野枝 空の水-IX 2007


青木野枝展

2007
9月8日(土)〜9月30日(日) 
12日(水)・20日(木)・28日(金)休

11:00〜18:00

作家在廊日:9月8日(土)

青木野枝スライドショウ

9月8日(土)
16:30〜17:30

入場無料

ももぐさカフェ

期間中はルヴァンのパンを使ったランチをお召し上がりいただけます。

水の中からこちらとあちらへ

 アメリカから渡ってきた野球が日本文化に根付いたのは、一死二死チェンジと回を追いながら「生と死」を繰り返す仏教的な要素を見出しているからだとある詩人が語っていた。そういえば宮沢賢治も自分を「生と死」を繰り返しながらせわしく明滅する因果交流電燈に例えていて、日本人はものの命を現世だけで考えず、「生と死」の連続と捉えている民族であると思うことが時々ある。

 青木野枝といえば鉄の彫刻だが、近代の発展を支えてきた鉄の強い一面より、近代的なイメージの裏側の部分を大事にしているように感じられる。「鉄は透明な金属である。外から見ると錆びたり青灰色だったりするが、火を使って溶断していくと透明な内部が現れる。鉄は私にとって木の枝であり、骨であり、氷である。そしていつも内部に透明な光をもっている。」誰しもが体験できる領域のことではないが、この彼女の言葉から溶断し溶接して構築され、設置して、また風雨にさらされ錆朽ちて生命を終える近代的な「モノ」として即物的に鉄を捉えていないことは推測される。先述の日本人の野球観のように、火を使ってつまり溶断することで鉄が赤くなったり冷めて黒くなるような鉄の生と死の明滅を見つめ、時間の流れを持った一つの動作の現れとして鉄を捉えている。転生を繰り返す鉄の連鎖を形にし、鉄の一生のそれぞれの在り方を提示しているかのような彼女の作品を、近代彫刻のようにかたちのある「モノ」として見ようとすると、いつも視線は作品の間をすり抜けてしまう。一歩引いたところで眺め、近代の裏側への入り口であり結界として認識するか、逆に一歩近寄って作品をアンテナとして見立ててつつ、環境を含めた生命と交信する装置のように交わるか、近代人に問うているにも思える。宮崎駿と違って、戦後世代の我々はもう「もののけ姫」を昔話としか読めないのだろうか。立ち位置はいつもこちら側で、覗いたり感じたりするものの、けっしてあちら側には行こうとしない。それでもいいよ瞬間だけでも感じて貰えれえばと、野枝さんの作品は語っているようにも見えるが、記憶の彼方に山の民の時代のことはなくなりつつある。

 百草という住空間で、明滅しているいつの時代の記憶を思い出せるかわくわくしている。同時に壁に掛かる版画は、そんな記憶の断面のような既視感を感じさせるものである。母親の胎内の中で一度見たような、あちら側の世界が描かれているように思える。9月の百草はいつもと違って、あちら側との交信の場になることだろう。
                       百草 安藤雅信

青木野枝 水天-2  2007雁皮刷エッチング
<主なコレクション>

宇都宮美術館、大分市美術館、霧島アートの森美術館(鹿児島)、近畿日本鉄道株式会社(大阪)、国際芸術センター青森、国立国語研究所(立川)、国立国際美術館(大阪)、(株)資生堂、瀬戸田町(広島県)、千葉市、豊田市美術館、中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館、名古屋市美術館、新潟県立近代美術館、文化庁、広島市現代美術館、目黒区美術館

青木野枝略歴
1958 東京生まれ
1983 武蔵野美術大学大学院造形研究科(彫刻コース)修了 修了制作優秀賞を受賞
2000 平成11年度(第50回)芸術選奨文部大臣新人賞受賞
2003 第33回中原悌二郎賞優秀賞受賞
<記憶に残るできごと>
1985 チェルノブイリの原発事故が起こる ソ連、ロシアという国が気になる タルコフスキーの「ストーカー」は今でも一番好きな映画
1987 この年から京都の庭をつくる仕事を手伝いだす 伊勢神宮や京都の庭などを見てまわる 植木屋さんに連れられて、関東中ケヤキ、シラカシをさがし、山の中や奥深い田んぼ、農家に行ったことは、得難い体験だった
1989 

2月 島根の日本刀剣保存会のたたらを見に行く 鉄はこんなふうに生まれてくるのだと感じ入る  4月 ニューヨークの自然史博物館でイヌイットのつくったものを見る こういう世界があったのだと感激する  自分のつくるものの基本はいつもここです 6月 ベルギー・ブリュッセルの自然史博物館で古い巨大なガラスケースに入った数十頭の恐竜の骨を見る

1991 この頃なぜか猫や犬を多数拾う 稲光を見に茶畑に行くと10匹以上の猫がいっぺんに捨てられていることもあった
1993  大分や大阪の古墳を見てまわる 金山古墳、石室内の水たまりや、そこに住む一匹のヤモリ 入道雲の空の下、古墳のわき道をヘビがすーっと、横切ったことなど、自分がどの時代に立っているのか、不思議な曖昧な気持ちになった
1994 6月 ウォルター・デ・マリアのライトニングフィールドを見に行く かみなりは落ちなかったけれど、向こうの山の風景や夜の空、野原の匂い、陽があたった兎の耳などをおぼえている
1997  5月 鎌倉の池で亀と目が合う 目があったことが、互いの背後の世界を想像しあうきっかけとなり、池について興味をもちだす  9月 足尾銅山跡を見に行く
1998 この年の銅版画はずっと、プリンス(一曲だけ)を聞きながら、仕事をしていた。たまにつくることと、聞くことがクロスする時があり、こういう時は何百回でも一日中その曲を聞いている
1999 初めて色を使った版画をつくる この時はケミカルブラザーズとフージーズ
2000 2月 釧路・網走へ行って、ジャッカ・ド・フニ(冬で閉まっていた)、北方民族博物館やモヨロ、トコロ遺跡などを見てまわる 夕刻、流氷でいっぱいのオホーツク海でアザラシの声を聞く
2001 青森の津軽半島を何度もめぐる ベンガラの大きな岩があった
2002 桜島に上陸する 強い強い磁場を感じる 雲や光もその力のなかにある
2003

下北半島をまわる 恐山の誰ひとりいない翡翠色の湖に立っていたら、エゾゼミが鳴いて、風が吹いて、浜が白く光り、ここは世界が違うのだとわかった

2004

富山の発電所美術館の設置中はずっと雨、ゆらゆら帝国とレディオヘッドを大音量で流しながら溶接 屋根にあたる雨の音、まわりに降る雨の音で自分の立ち位置がわからなくなる 水はどこまできているのか? 旭川の春ニレの木々の下に彫刻を置いた 木々は高くて、林のなかにいると空はもっと上空にある 川の水面は地面と同じところに

2005 念願のサハリンに行く 夜行列車に乗ってノグリキまで ウィルタの人々の資料館へ行く 道中、林や水や光が違う粒子のなかで輝いているようにみえる それから、私にはあの風景がある、と思う
2006 白羽毛の廃校になった水色のプールに彫刻をつくる そして山の水を入れる 私にとってこれは一枚の田んぼなのだ
2007 韓国や中国に行くことが多くなる 北京駅を夜、何度も歩く たくさんの人の熱気は感じるのだけれど、それに相対する人造物の固い冷たさみたいなものに、自分の彫刻を考えてみる
<主な個展>
1995 「近作展-19 青木野枝」国立国際美術館(大阪)
1999 GALERIE BHAK(ソウル、韓国)
2000 <青木野枝展-軽やかな、鉄の森>目黒区美術館(東京)
2001 Gallery Article(ケルン)、Keumsan Gallery(ソウル、韓国)
2003 「熊と鮭に」国際芸術センター青森
2004  「空の水」入善町下山芸術の森 発電所美術館(富山)
2007  「Embracing Lights:iron(光を内包する:鉄)」ヘイリー芸術村(パジュ、韓国)
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