おもちゃへの憧れ |
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高校時代から数年間、針金細工に凝ったことがある。三輪車や飛行機などを立体的に作った。30年以上経った今でも取ってある。その頃美大進学を決め、全身美術漬けになることが心地良かった。香月泰男のおもちゃ筺という本を手に入れたのもその頃だろう。作家の余技に、その作家の本質と技量が滲み出るからと今から思えばかなり無理をして作っていた。
一流の作家が皆おもちゃを作っていたわけでもないのに、何故余技にそれを選んだのかそのきっかけは思い出せないが、未だにおもちゃを作る作家へ羨望の眼差しを送ってしまう。童心のような純粋さへの憧れか、油絵や人体彫刻という西洋の文化に馴染めなさからの逃避があったのかもしれない。美大に進学して心理学を学ぶうち、飛行機や「3」という数字が母親の象徴であることを知り、恥ずかしくなって作るのを辞めてしまった。美大の弊害か教育の弊害か、表現の衝動に今一歩踏みとどまってしまう習慣が付いてしまったことは悲しい。
百草での初めての竹次郎展で、二人の子供への誕生日プレゼントに、毎年作られていたおもちゃを紹介したことがある。香月泰男や竹次郎さんのおもちゃを見ていると、それらは余技ではなく、家族への無言の愛情であることが分かる。
家族へのプレゼントのような作品で展覧会をして欲しいという注文には無理があるが、ある意味竹次郎さんが楽しんで作っている物はすべておもちゃのように、私たちをも楽しませてくれるであろう。旅持ちの茶箱や動物付きの金杯は、作品という顔を持ってはいても、自分への贈り物であり、「今こんな物が気になってるんだ」という竹次郎さんの日常会話でもある。
作品がすべてを語っているのだから作品に言葉はいらないと言われるが、果たしてそうだろうか。純粋な表現の衝動が大事であって、作品の後付に言葉の説明が必要ならば、それも良いではないかと思う。衝動が大きければ大きいほど、作品でも言葉でも一度では表現しきれず、それが継続的な表現に繋がっていく。説明的な作品や言葉で説明の付いてしまう物こそ必要なく、そういうものの動機の純粋さを問いたい。
竹次郎さんの仕事場に行くと、若い時からの大きな衝動の継続が一杯詰まっているのを感じる。どれも表現しきれず未完結なのだ。三度目の今展も私たちの想像が及ばない竹次郎さんの日々の営みと物への思いを表現されることだろう。作る楽しさを伝えられる作品や、おもちゃを作る時のように純粋な心で制作を持ち続けられる竹次郎さんに、いつでも憧れている。
百草 安藤雅信
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長谷川竹次郎 |
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余戯というか仕事の合間に楽しもうと思いながらついには1日中作りつづけ、途中からは楽しみ半分、生む苦しみ半分と合まって、そうなればなおさらやめる訳にもいかず、はたまた銀の小さなパチンコ玉をたたいて、やっと出来上がったと思いきやコロコロと転がって積み重なった本とCDの間に入り込み探すが出てこない。
玉が見つかったら本の整理をするいい機会だと言い聞かせながらまた探す。見つけた時は疲れ果て、これは本業よりもたいへんな事をしているのかも知れないと思いはじめるが、やめられないのは物作りの業なのか。
そしてやっぱり楽しい。
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作家略歴
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長谷川竹次郎 作家略歴
1950 長谷川一望齊春泉の次男として名古屋に生まれる
1968 人間国宝(故)関谷四郎氏に鍛金を師事
1971 名古屋に帰り、父春泉の元で従事
1984 日本工芸会正会員
1994 「一望齊春洸襲名展」名古屋美術倶楽部
1999 個展・ギャルリももぐさ
その他個展
名鉄百貨店(名古屋) 名鉄丸越(金沢)
西武アートフォーラム(東粛) 丸栄(名古屋)等
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出品項目 |
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・遊具類(やじろべ・玉ころがし・独楽など)
・生活道具(蚊取線香立て・カトラリーなど)
・茶道具(蓋物類・鉄製茶杓など) |
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ももぐさカフェ
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期間中はルヴァンのパンを使ったランチをお召し上がりいただけます。
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