島 るり子 |
1952 新潟県柏崎市生まれ 小学校時代、ガールスカウトのキャン
プで山暮らしの楽しみを知る
1970 京都にて修行
1973 丹波にて修行
1976 新潟県柏崎市西山に登窯を築く
1980 結婚 柏崎にて「自然食品と民芸品」の店“なるほ堂”を開店
1989 長野県伊那市に移る
1992 12年のブランクを経てやきものを再開する 同市に穴窯築く
移転したなるほ堂の一隅に器を並べ“草草舎”OPEN
2000 草草舎一人立ち 各地にて個展・グループ展開催 |
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STUDIO 羽65(飯田竜子・山本里子の仕事) |
1980年に染織を中心とする工房“STUDIO 羽65”を立ち上げ、日常使いの布、建築空間でのインスタレーションなど多様な布の表現をしている。95年からは“記憶の森”をテーマとしてコラボレーションし、仕事現場近くの森や雑木林を散策しながら、薄葉、朽葉、樹皮、モールド(沃土)などのイメージを作品化している。最近では織りや野外での展示、畑で藍を育てて染めのワークショップを開催するなど新しい方向も取り入れ、参加者と共に作り上げる仕事もしている。今後も飯田・山本は作品を通して様々なシナジー効果を高めて歩いていきたいと思っている。 |
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Maru Factory 丸山 正 |
1951 大阪府に生まれる
1967 関西二紀展入選
1973 大阪芸術大学油絵科卒業 1985 型絵染による着物を造り始める
1988 きものデザイングランプリ入賞
1989 各地にて毎年または隔年個展開催 2000 北青山にショップ「Maru Factory」をオープン 伊ミラノ
のギャラリー「アルテ・ジャ ポネ」にて個展
2002 青山スパイラルガーデンにて深草アキの泰琴とのコラボレ
ーションによる巻き付けパフォーマンスと個展
2004 日本外国特派員協会(有楽町)にて黒田征太郎のライブペイ
ンティングと深草アキの泰琴とのコラボレーションによる巻
き付けパフォーマンス 工房を飯能から長野市大岡の古屋(
築約140年)に移す 映画「鏡地獄」衣装提供、映画「トニ
ー滝谷」衣装提供
2005 アサヒ飲料「若武者」CM衣装制作(オダギリジョー) 沖
縄てんぶす飴(和ギャラリー秋風主催)にて奄美島唄の朝
崎恵、八重山 民謡・三線の新良幸人、琉球舞踏の志田真木
とのコラボレーションによる巻き付けパフォーマンスと個展 |
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三谷 龍二 |
1952 福井市生まれ これといって特徴のない街で、これといって
特徴のない少年期を過ごす
1971-77 芝居のポスターを作ってみないかと誘われて劇団に入る人
前に立つなど考えられなかったのに、どうしたわけか舞台にま
で立つでもこの時の大道具経験が、木に関わる始まりであった
1981 松本市に工房PERSONA STUDIOを開設 といっても団地の六
畳一間、ここでできる事から始めようと木のアクセサリーを作る
1983 家具を作る友人に刺激をうけ、暮らしに関わるもの作りを考
える そうした中から陶磁器のように「普段に使える食器」と
して、木の器を作り始める
1985 クラフトフェアまつもとを友人たちと始め、以後運営に携わる
このポスターを作ることをきっかけに、彫刻作品の制作を始め
る(どうも妙にポスターに縁がある)
1996 食器に適した仕上げとしてオイルフィニッシュに加え、漆を
始める
1995-04 クラフトフェア機関紙「MANO」(手)編集長
2001 器作りの合間に、道具や器をモチーフにした立体や平面作品
を作り始める
2002 「住む」で絵と文による「僕の生活散歩」の連載を始める |
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木の椅子工房 ウッドワーカー村上 村上 富朗 |
1949 長野県小県郡丸子町に建具屋の4代目の長男として生まれる
1964 定時制高校にかよいながら家業の木工業に従事 1975 ニューヨークのキャビネットメーカーで家具の製作 翌年の
建国200年祭でアメリカンウィンザーチェアーに出会う
1978 園芸家の「自然の中にすべての芸術のパターンがある」とい
う言葉に惹かれ長野県北佐久郡御代田町に工房を移す
1979 シェーカー家具展(目白三春堂)アメリカで出会ったシェ
ーカー家具を復元
1980 カントリーファニチァー展(目白三春堂)アメリカの古い家
具を復元
1983 アメリカン・ウインザーチェアー展(小田急ハルク)ウィ
ンザー制作の集大成
1984 ニューヨークで彫刻家ドナルド.ジャッドの椅子を製作
1988 木の椅子10脚展 第1回(目白三春堂)100脚展を目指すが4
回で挫折
1998 第1回暮らしの中の木の椅子展入選(2脚)現代の木工家具展
(東京国立近代美術館工芸館)に出展 |
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須藤 剛 |
1972 群馬県桐生市に生まれる
1991 大学入学を機に居を東京に移す
1996 料理人になる決意をし、青山えさきに入店
2004 青山えさきを退店し、料理店こだまに入店 小冊子「一汁
三菜」の料理担当 田所真理子と結婚 同時に長野県松本市に
居を移す
2005 自宅を改装し田所真理子の絵の展示スペース 「tadokorogaro」、2ヵ月後に日本料理「温石」を開店
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田所 真理子 |
1973 宮城県仙台市に生まれ、5歳の時愛知県豊橋市に移り育つ
1990 名古屋の大学で英語を専攻し、卒業後花の仕事に従事する
1997 東京に移り、子供の頃から好きだった絵を学ぶ為、セツ・モ
ードセミナーに通う
2003 petit culにて個展
2004 札幌 oteshioにて個展 小冊子「一汁三菜」(猿山修デザ
イン)を出版 雑誌「日々」創刊時よりイラスト担当
2005 「tadokorogaro」「温石」を夫と始める
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丸富 宮島秀幸 |
1959 長野県飯田市に生まれる
1978 足利市「一茶庵」にて蕎麦を修行
1981 飯田市「丸富」(蕎麦屋)で家業を継ぐ
1990 自家製粉を始める
2000 「丸富」を駒ヶ根市に移転 現在に至る
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ルヴァン 甲田幹夫 |
1984 東京・調布で卸しを始める
1989 東京・富ヶ谷にて小売店舗を開店
1992 カフェ「ル・シャレ」を富ヶ谷店に併設
2004 故郷の信州上田に3店舗目を開く
2006 同店にレストラン「ルヴァン・ターブル」を併設 築300
年の酒蔵を再生し、田舎風のあたたかな食卓を提供
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大久保醸造店 |
1905年創業の味噌・醤油屋 信州松本の気候風土を生かし、醸造過程では博物館的管理手法にて時間をゆっくり吸収して自然体に醸造された醤油と味噌を造る
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奥野かるた店 |
大正10年 現社長の父、徳太郎 東京都港区芝田村町にて奥野一香商
店を創業、問屋業務として、百人一首・花札・囲碁・将棋
・トランプなどを扱う
昭和20年 戦災にて一時休業
昭和27年 千代田区神田神保町書籍問屋街にて、株式会社奥野商品と
して業務再開
昭和54年 神保町白山通りに面する現店舗に移転 オリジナルかるた
として多くの消費者に展示販売する
平成 9年 店舗を全面改装 1階では、オリジナルかるた・百人一首
・花札を展示販売するほか、当店所蔵の珍しいカルタを数ヶ
月毎に並び替え愛好者に展覧し、日本唯一のかるた専門店と
して近来巷問に伝わる 2階では、チェス・バックギャモン
・ボードゲームなど室内遊戯用品を販売する
平成14年 軽井沢にて、「軽井沢小さなカルタ館」を夏季のみ開館
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