現代日本紀行「福岡」編 人の集まりや街は、交通手段の変遷と共に歴史的に変化してきた。江戸時代までの移動は歩き・船・馬であったから、川や海の影響を受けながら街道は作られ、文化的共同体である街や村が出来た。明治から昭和は鉄道になり駅を中心に街が出来、車が一般的になるとバイパス沿いに店舗、人は団地と二極化した。現代はインターネットの発達によって人はあまり動かなくなり、ネットの中に文化的共同体が既に作られつつある。
かつての交通は物と人と情報をもたらしていたので、交易都市か否かで文化レベルに大きな格差があった。産業革命以降、流通は分化され、情報は新聞・テレビ・インターネットなどによってもたらされ、物はトラック、人は電車などの交通手段になった。交通によってもたらされるものは昔程の意味や重みを現代では持たなくなってきている。スピードが速くなった分、伝わってくる物が表面を流れているような印象を持つ。だからであろうか、それぞれの土地に住む人々の大まかな性格は明治時代までの交通手段によって形成され、未だに残しているように思う。それを土地の遺伝子と呼んで良いだろうか、なかなか根強いものである。
様々な土地に行ってみて、かつて城下町や港街であった街の文化レベルはやはり高いと感じる。行く先々で土地の遺伝子を見つけるのは楽しいもので、今では都道府県名になっているが高知はやはり土佐と言いたくなるように、方言の強さとその気風は比例してずうっと残っている。人が街を作るのではなく、風土や土地が街や人を作ってきたのだなあと旅先でいつも思う。
そうやって見つけた面白い街の筆頭は福岡県である。今展の3人は紛れもなく九州男児。骨があって照れ屋で、センスが良く、しかし、世渡りは不器用。その分熟成した個性がにじみ出ている。2000年近く前から大陸文化の入り口で、感性は鋭く流行に敏感、なのに美味しいところは都にさらわれてしまう。多分、第一人者に祭り上げられると背を向けてしまう反骨精神は、仲間を大事にする男気から生まれているのだろう、ちょっとヘソは曲がっている。寡黙な岩田さんは静かな作品の中に土の表情を彫刻的に引き出す陶芸家。センスの良さは衣食住にも通じていて、しかもさりげない。「四月の魚」の関さんは、ポスト坂田の筆頭である。骨董に背を向け新たな価値を発見すべく突き進む姿勢は、古道具界の確信犯、いや革新派。少年の目を持つ山口さんは、一つ一つアイデアをしっかりと消化して次に進むタイプ。木の器と家具の両方に繊細なセンスを発揮する。福岡は層が厚く、これからの若手も諸先輩も健在である。サポートメンバーの中で吉富さんの「吉富寿司」は店を丸ごと持ってきたい程、無駄をそぎ落として格好良い内装。そして寿司への愛情は際立っている。時代の波を作る実力を持っていてもそれをひけらかさない福岡県人の及ぼす影響力は、既に全国に広がりつつある。遠くて近い福岡の先ずはお手並み拝見。 |
百草 安藤雅信 |
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山口和宏 / Koppa-kun |
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岩田圭介
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1954 |
福岡県田川郡添田町に生れる。子供の頃、父、十三に連れられて近郊の窯場を度々訪ねる |
1972〜 |
田川高校卒業後、京都で浪人生括。ロック喫茶「ダムハウス」でマデイーウオーターズなどのブルースに浸る |
1973〜 |
日本大学芸術学部彫刻科に入学 柳原義達、土谷武氏などに実習を受けたはずなのだが… ソニーローリンズ、日本ツアーで楽器運びのバイト 連夜、ステージ脇でライブを満喫 |
1976〜 |
工芸展で河本五郎氏の作品に出会い、陶芸家をめざす決意 |
1978〜 |
多治見工業専攻科を卒業後、五郎先生に弟子入り フェラクティ、サニーアデ、などのアフリカ音楽を聴き始める |
1983 |
福岡の実家に工房を作り独立 |
1984 |
アフリカ諸国を旅する マリ、ニジェールが印象に残る |
1985 |
築城美智子と結婚 |
1986〜 |
赤坂「乾」ギャラリーで初個展、以降個展、グループ展を通じて様々な人達と出会う |
1994〜 |
津屋崎町に工房を移転 |
2005 |
工房ではローリンヒル、サリフケイタ、トムウェイツなどを流している |
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関 昌生(四月の魚)
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1964 |
福岡県に生まれる。公務員の父の仕事の関係で、15歳頃まで2〜3年おきに転々とする 親友との別れも、一週間で過去のものとする |
1982 |
九州産業大学商学部経済学科になぜか入学 かみさんを見つける 短大のかみさんの卒業に合わせて、2年で中途退学 |
1984 |
手に職をと、美容室勤務するも2年で挫折 その後、フリーター生活 |
1990 |
志低く、古道具四月の魚開店 |
1995 |
骨董に目覚め、陶片を集めては年代や窯を勉強するもどこかに違和感を覚える |
1996 |
古道具坂田の存在を知る[霧がはれたように感じる] |
2004 |
時代に合ってきたような気がするも、違和感いまだ消えず |
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山口和宏
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1986 |
福岡県浮羽町に小屋を建て家具作りを始めました |
1991 |
福岡市内で展示会 |
1994 |
吉井町に住まいと工房を約一年かかって建て、吉井町での生活が始まりました 僕も奥さんの影響でパンやケーキを焼くようになりました おいしいものはなんでも好きです |
1997 |
この頃から‥四月の魚‥にほとんど毎日通っています |
1998 |
お盆やパン皿、スプーンをつくり始めました |
2003 |
友人で、とびきりのおいしい麺をうつ長尾さんのうどん屋“井戸”のテーブルを低予算で作りました “井戸”開店以来常連になります |
2004 |
百草冬百種展 |
2004 |
“a cup of tea” 私のお気に入り「真木テキスタイルスタジオ」 |
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距離感・・・福岡に行くと「どこか行きたいところありますか」とか「・・はもう行った」と尋ねられる。知っている地名例えば湯布院と答えると近いから行きましょうと言ってくれる。二時間掛けて行く。岐阜県人の僕には考えられない。多治見から二時間といえば諏訪か松本である。とても近いという意識はない。僕が近いと思うのはせいぜい30分から一時間である。恐らく九州の人は大陸や京都・東京に比べれば近いという、比較の対象がぼくとは違ってスケールが大きい。
新しもの好き・・・東京が現代文化の先端を行くことは誰もが認めるところ。福岡も負けていない。雑誌に掲載されて最初に反応があるのは福岡。感度が良いし、おまけに自分たちの文化に自信も持っている。自分たちの文化を外に発信するのはちょっと苦手のようにみえるが、実はその必要がないくらい九州での消費力は大きい。
生活圏(テリトリー)・・・動物には自分の生活圏があって、そこに進入するものは排除する本能がある。それが福岡の人からほとんど感じられない。自分のお客さんを近くの同業者に紹介したり、同業者同士で買い合ったり仲が良い。持ちつ持たれつの関係が素晴らしい。地産地消のサイクルが出来ている。見習いたいものだ。 |
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