未分化のカ
古代は生きることと物を作ることが分化していなかった時代である。その後職業という言葉が生まれ、物を作ることは生きることではなく仕事でもなくなった。現代では物を作ることは働くことであり、対価としてお金を得ることである。人口の増加と共に量産化が掲げられ、一つの職種の中で様々な専門職に分化され、効率化されてきた。
かつて芸術家も職人のうちであった。19世紀に近代工業が発達して大きく変化し、物作りは機械が大半を担うようになり、職人の仕事が減った。絵描きが職人から分化したのは、カメラが発明されたからだという。20世紀の美術・工芸の発達は、機械に出来ないことをしようということの現れである。工業製品が安価になれば、芸術作品は高級化・装飾化していき、均質的で綺麗なものが作られるようになれば、如何にも手作りというものが作られる。工業とは正反対に行くという宿命を持って近代芸術は生まれたのである。今世紀の物作りには何が問われているのだろう。
銀器というとヨーロッパのものを連想される方が多いが、日本にも茶道や煎茶を中心とした金工の文化が続いている。長谷川家も名古屋の茶道文化を支えている重要な職人である。それと同時に御夫婦共に作家としても活躍してみえるので、まさしく20世紀を体現していると言ってよい。言葉として言えば簡単だが、この両方を兼ねることは実はとても難しい。長谷川家には芸術家と職工に分化する前の技術が残されているのである。これが本当の伝統の重みである。
今回の展覧会では、銀器にまつわるヨーロッパ的なイメージと工芸品的価値の払拭とをまみさんに期待している。以前から薄くてペらペらだが、手にした時優しくて使い勝手の良い金工の物を探していた。どういう理由であれ、まみさんが今回薄くて使い勝手の良い反工芸的な物作りにチャレンジされることに拍手したい。制約の中でかつての職工たちが残した良い仕事のように、未分化のカと雑味の強さを表現できるのはまみさんだけである。 |
百草 安藤雅信 |
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銀の皿 |
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長谷川 まみ |
1964 |
映画に明け暮れた4年間の学生時代 |
1968 |
就職できず、陶芸をやるという友人に付いていった工芸研究所で鍛金を始める |
1971 |
名古屋へ帰り、コピーライターを1年 |
1975 |
友人が長谷川一望斎宅へ連れて行ってくれる
工房へ入れて貰えた時、自分の居場所と決める
断られ続けるも、茶人の先代に菓子を届け続け、週一回工房の片隅で習うのを許される |
1999 |
昔からの友人である漆作家の赤木明登君の展覧会場「ももぐさ」へ出向き、安藤君に出会う 安藤流のモノのとらえ方に元気を貰う |
2004 |
今回の「百草」展は、薄くペらペらの器でと安藤君に話したらOK これには私事の事情があります 今年に入って突然銀が倍近く値上がりしたのです 長谷川の家は50kg単位で仕入れるので一目瞭然 そうなると私は焦り始め騒ぎまくる性格です うるさがった家の主は「そんなに気に入らないのなら銀を使うのをやめたら」の一言 そんな訳にはいきません そこで考えたのが銀の量を減らす事 薄造りです さかのぼれば、ペルシャ以前の打ち物の金、銀器は薄くて軽い 摂取量が少なく貴重なので口を反らせたり覆輪を巻いたりモールを打ったりで強度を出した 中国の唐の時代あたりになると、技法は西方から入って来たものの、東西の貿易都市となり王室が栄え、技術は洗練され純度も良くなり目方も重くなる その頃日本に持ち込まれた銀器は、荘重な彫りと鍍金が施されて雅になってくる
茶道具においても、薄造りの銀器は軽視される傾向があり、長谷川の家も先代までは箱裏に目方を印した とにかく私は薄造りを決める 薄すぎると肉の寄りが悪く絞りにくい どこまで薄く立ち上がってくるのか心配だが、今の私のケチ度からいくと問題解決なのです |
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