竹次郎の玉手箱 |
自分にとって大切なものというのは、得てして個人的な価値観によるところが多く、他人から見ればほとんどくずであったりする。だから秘密にしておきたいものは、外から見えない箱に仕舞う。箱の歴史は長い。古くは藤原、奈良時代に大切なものは箱に仕舞う習慣があった。というのも、日本には家具を部屋の中に置くという習慣があまりなく、特に庶民が家具を持ち始めたのは明治の後半になってからという。西洋から家具文化が持ち込まれるまでは、大方日本は箱文化であった訳だ。お金は銭箱、薬は薬箱、文房具は硯箱、米は米櫃、それで個人の秘密は玉手箱。
最初に竹次郎さんの箱を見たのは、仕事場にお邪魔した時見せて項いた、出来たばかりの御子息清吉君の誕生日祝いに作られた銀の弁当箱だった。しかし、それは中に仕切りがあって箸入れがあってというような機能的な物ではなく、ふっくらとして何でも入れたくなるような不思議な箱だった。それが妙に気になっていた。竹次郎さんは秘密の宝物、それも掌にのるような小物を沢山お持ちであるが、小引き出しに整然と収められたり、数種の箱に収めていらっしゃる。それらはあぐらをかいてする仕事場の手の届く範囲にすべて置かれ、瞬時に見たいものが取り出せるように竹次郎さんなりの秩序の中で置いてあるようだ。ここは仕事場か、はたまた資料置き場か、嫉妬を覚えながら竹次郎さんを後にしてドアを開け外に出た。ふと仕事場を外から眺めて気が付いた。この六畳位の一軒家の仕事場こそが玉手箱であるのだと。一人になると竹次郎さんが小引き出しの中のものを一つ一つ取り出しては掌にのせ一人ほくそ笑み、手の脂で研いてはニタッ、研いてはニタッとしている姿を私は想像してしまった。ウラヤマシイ。浦島太郎と違い、箱の中に居れば歳はとらないのだ。
今回の展覧会は、そんな箱が大小様々作られ、それに入れたくなるような茶道具色々、小品色々が展示されます。箱文化復活万歳であります。 |
百草 安藤雅信 |
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もともと箱は手ごろな大きさを見つけるととりあえず手に入れておく。ささやかな収集の小さき物を入れるのと、夜中にほおばる菓子を入れるためである。集まってきた箱は金唐皮、籃胎、閑張などで作られた古いものが多い。時に乾布で拭いて手もりをしたり、中身を入れ替えたり。これが結構仕事の邪魔をするが、終えるともう一度、蓋を開けてちらと見届ける。楽しい。先日、ひとかたまりの小物を入れるべく、間の合う大きさの箱がなかったのでとうとう作ってしまったのが今展の流れとなった。 |
長各川竹次郎 |
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長谷川竹次郎 作家略歴 |
1950 |
長谷川一望齊春泉の次男として名古屋に生まれる |
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1968 |
人間国宝(故)関谷四郎氏に鍛金を師事 |
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1971 |
名古屋に帰り、父春泉の元で従事 |
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1984 |
日本工芸会正会員 |
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1994 |
「一望齊春洸襲名展」名古屋美術倶楽部 |
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1999 |
個展・ギャルリももぐさ |
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その他個展
名鉄百貨店(名古屋) 名鉄丸越(金沢
西武アートフォーラム(東粛) 丸栄(名古屋)等 |
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