ギャルリももぐさ/百草
作品/百草
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細巾布
蚕  衣  無  縫
真木千秋と百草が提案する布と衣

2001 5月12日(土)〜 6月3日(日)
11:00〜18:00
会期中水曜休
作家在廊日
5/12(土)5/13(日)5/14(月)
出展品目
ストール 布 布作品 衣 着物 帯など
スライドレクチヤー
5月13日(日)16:00〜

天衣無縫の仕事
美術史家 土田真紀 
 法隆寺金堂壁画の飛天、船の舳先に立つサモトラケのニケの像、あるいはボッティチェルリの春の女神など、この世の存在ならぬ女性が身に纏っているのはいつも、微かな風にも翻る薄衣である。それは、人間の手技では到底及ばないほど細く紡がれた糸で織られた、最高の布でつくられているにちがいない。「天衣無縫」という言葉があるように、縫い目のような人工の手の跡はなく、あるがままそのままで完璧な布、完璧な衣、まさに「神業」の産物である。
 あり得るかぎり上質な布を求めて、人間の手仕事もしばしばこの「神業」をなぞろうとしてきたのかもしれない。けれども人間の手は人間の手であって神の手ではなかった。「神業」に近づこうとする布は、むしろ自然な姿からは遠ざかり、人工の極致となってしまうのが人間の宿命なのではなかろうか。高度な職人技の産物が、しばしば技巧ばかり目について魅力的でないのはそのせいかもしれない。そこにあるのは「天衣無縫」とは対極の世界である。
 真木千秋さんも百草の安藤明子さんも、最高の布、最高の衣といった一つの方向へ突き詰めていく仕事とは別のあり方で仕事をしている。ともに糸や布を誰よりも大切に考え、用いている人であるが、普通に職人技と呼ばれるものと異なっているのは、糸をあるべき布に、布をあるべき衣に従わせるのではなく、糸があって布があり、布があって衣があるように仕事をされてい る点である。
 どれほど完璧に近づいたところで、人間が作るものには手の跡も残れば、縫い目もなしではすまされない。であるなら、与えられた糸や布をできるかぎりまるごと引き受け、生かそうとすることこそ、自然な人間の技、つまりは人間にとっての「天衣無縫」なのではなかろうか。まして絹は、まさに「天の虫」であるところの蚕が紡ぎ出す人間にとって天与の糸であり素材である。そうした素材を力で人間の側に引き寄せるのではなく、できるかぎり素材に寄り添おうとする二人の仕事は、すぐれて「女性的」な精神の産物であり、仕事であると思う。そうした布や衣は、その使い手や着る者を覆い隠し、うわべを飾るものではなく、また着る人を選んだりもしない。むしろ誰にも似合い、その人なりの姿を映し出して、外見と中身を見事に一致させる。ただ一つの最高を創り出すよりも、一つのものさしで計られるような価値観から自由な、それぞれによいという仕事をする方がはるかに大切だと私には感じられる。
ミスト
真木千秋 作家年表
1960 武蔵野に生まれ育つ
1981 アメリカ・メイン州にあるヘイスタック・クラフトスクールにて、英語も十分話せないのに、ファイバーアーティストSheila Hicksのアシスタントに抜擢される以来娘のように可愛がって貰い、世界各国での彼女の企画する展示会やワークショップに参加する
1982 ロードアイランド造形大学テキスタイルデザイン科在学中、桐生のテキスタイルプランナー新井淳一さんの布と出会い衝撃を受ける 帰国した際には必ず訪ね、生き生きとした布作りの現場、発想の豊かさに感動し、民族衣裳の収集や就職などその後も色々とお世話になる
1985 ロードアイランド造形大学卒菜
1990 東京の山里・五日市に住み着いて制作活動を始める真木テキスタイルスタジオを開設このころからインドでの純物作りに本腰を入れ始める
1994 那覇での個展の際、八重山西表島の染織家石垣昭子さんを訪ねる「島では織りや糸づくりは当り前のこと・・」と言われ、私の求めていたものと確信して、翌夏短期弟子入りをさせて貰う 織る為に糸を作り、糸の為に植物を育て、染めの為に植物を採取するすべてが大自然と暮らしのサイクルの中にある
1996 当スタジオのものだけでなく、面白いことはなんでもやっていきたいという思いで、東京青山に真木テキスタイルスタジオをオープンする
1997 石垣昭子さん真砂三千代さんと南の島発信「現代の衣」真南風プロジェクトを始める
1998 真南風プロジェクトをニューヨークで発表 アジアも西洋もなく肴る人から「気持ちいい」と言われたことが塘しかった
2000 気になっていた百苧を訪ね、「今までの真木さんとは適う面を見せて下さい」との難しい注文にやる気もりもり今まで出来ずにいたことに挑戦する
 たとえば、いくら柔らかくても、「質のよい」糸でも、織ってみると何か物足りない時がある それより、ごつごつとしていてどう見ても手で引かぎるをえない繭からの糸、野生の繭や玉繭から引いた糸の力強さに惹かれてしまう それは織って水にくぐらせて身につけてみるとよくわかる
 私の場合、こんな糸に出会ったからこんな織りが生まれた、ということがほとんどで、出来上がりを予想して作る方が苦労する 色も同じで素材としての美しさで捉えている 自然からの彩りは限りなく色の幅があり、素直に受け取るだけでいい 織り方も糸の風合いを引き出す為に使うことが多い 何々織り、というこだわりは別になく、この糸のとなりにはこれ、という風に一本一本糸を選び織り進んでいく
 素材があって、色があり、感触があり、そして着心地がある…
真木千秋
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