ギャルリももぐさ/百草
作品/百草
Temporary Exhibition Gallery Permanent Exhibition Gallery Cafe Outline & Access Momogusa Original Masanobu Ando's Work Akiko Ando's Work Published Momogusa Blog.
企 画 展 今までの企画展・今後の企画展へ
木版カルタ 仏18C
古道具・坂田 眼の仕事 展
2000 4月1日(土)〜5月7日(日)
11:00〜18:00
会期中水曜休(5月3日は開廊)
坂田和實在廊日
4月1日(土)4月2日(日)4月3日(月)
「見立て尽くし茶会」
4月22日(土)要予約

「物」の生命 
美術史家 土田真紀 
 古道具坂田のほの暗い店内に初めて足を踏み入れたとき、これほど懐かしい空間にそれまで出会ったことがなかったような気がした。店先の日覆い、車が通るたびにがたがた鳴るガラス戸や土間が、昔住んでいた家を思い出させたせいでもあったが、それと同時に、こういう空間が日本のどこかにあるはずだと長い間信じてきたように思われたのである。それから随分と時間が過ぎて、目白に何度も足を運んだと勝手に思い込んでいたが、考えてみればわずか数年であり、数えられるほどの回数でしかない。そのうち、本来日本のどこにでもありそうな、というよりあるべき空間なのに、実際にはどこにもないのが古道具坂田の空間であることに気づいた。そしてそこに並んでいる物は、こんな物がどこかに売っていないかと思いつつ、どこにも見つけられないでいた物ばかりであるということにも。最初に感じた「懐かしさ」の所以はそのあたりにありそうだった。
 ヨーロッパ中世の窓や楽譜、アフリカの布や木製扉、貨幣、日本の酒袋、古い銀のナイフ、木版のカルタ、様々な国からの土器、初めて訪れたときに並んでいたのは確かそんなところであったと思う。前にこんなものがありました、と言って見せてもらったのは七宝細工の色と鍍金がかすかに残った中世のキリスト像の写真であった。間もなく開かれる西アフリカの土偶展の案内をもらって帰ったのを覚えている。またある時は古代そのままの美しい形を遺した朝鮮の木沓を見せてもらったり、実現はしなかったらしいが、平安の経筒の展覧会を企画した話を聞いたりしたこともある。見た物の中で未だに忘れがたい物は数え切れない。古今東西は言うに及ばず、坂田さんの眼は氏素性、メジャー、マイナーの別に関係なく、どんな片隅にも及んでいて、そこからこれというものを引き出してきているようだった。
 それらの多種多杉な品々を簡潔に言い表そうとするなら、一見「なんともないもの」、しかしよく見ると「なんともあるもの」という坂田さん自身の言葉を借りてくるのが−番ふさわしいにちがいない。別の言い方をすれば、千利休や柳宗悦ら日本のすぐれた眼の持ち主たちがそうであったように、坂田さんの眼はいつも一種の逆転劇を演じている。たとえばすぐれた抽象絵画にも見える日の丸盆。平凡だけれど比類なく美しい質感とそりをもつ平瓦。日の丸盆も平瓦も数の点でいえば確かにごくありふれていて、これといった特徴もなく、人によってはただの汚い盆、ただの瓦としか見ないものである。誰が見てもすぐにわかる美しさではないからこそ、本当の「眼」の働きがなければ説得力を持ち得ないし、マイナスからプラスヘ、価値を全く逆転するという点で離れ業にも近い。この逆転のうちに坂田さんの眼による創造と呼ぶべきものの秘密が隠されていると私は思うが、すぐれた創造がそうであるように、坂田さんの眼は一方で歴史性を具えていて、そこには坂田さん以前のすぐれた眼のあり方が継承されてもいる。たとえば、デルフトの白釉は茶人の好みでもあるし、デルフトのタイルは柳宗悦も取り上げている。そのことを踏まえながら、さらに一歩踏み込んで開催されたのが三年前の坂田さんのデルフト展であったと私は思う。そこには現代美術、現代建築に鍛えられた人の眼が見事に加わっていて、その一歩が決して無理矢理の一歩ではなく、十分に説得力を持っていたところに坂田さんの本当の力が隠されているように思われる。そしてその同じ眼は、坂田さん以前に日本であまり取り上げられたことのないアフリカの物に対しても確実に働いているのである。
 こうした意味で坂田さんは「日本の眼」の系譜を踏まえているだけでなく、「日本の限」とは何かを常に考え続けてきた人だと私は考えている。この二十数年間、毎年二、三回、坂田さんはヨーロッパに出かけている。もちろんヨーロッパの中世的なものに対する深い共感があるからにちがいないが、同時にそれは日本の眼とは何かを広い視野から考えるためでもあったのではないだろうか。坂田さんが言うように確かに地中海の光と日本の光はちがう。八角形の建築の面の変化を美しく見せてくれるような太陽の光は確かに日本には存在しない。ヨーロッパを訪れるたびに坂田さんはそこが日本とはいかに異質な世界であるかを確認してきたにちがいない。しかし同じヨーロッパでも北の柔らかい日差しの国にはピュ-ターやデルフトのような日本の鋭い光にも十分美しく見えるものがあり、数は少ないけれど最も深い部分で通じ合える感性、直観力を持った人々がいることをも同時に確認してきたと私は思う。実際イギリスには何人かそういう人たちがいるようである。その人たちの眼がもちろんそっくり坂田さんと同じであるはずはないけれど、共通した部分をもつそれぞれに眼のすぐれた人たちにちがいない。坂田さんが「日本の眼」を意識し続けるためにはこの行き来が不可欠であったことがわかるような気がする。
 そんな風にして坂田さんによって取り上げられた物は、ある意味で古道具坂田の空間でこそ最も生き生きとして見えるのかもしれない。ふさわしい空間でふさわしい位置を得、ふさわしい光と空気を纏って新たに生命を吹き込まれるからであろうが、「物」が「物」自体として何らかの価値を持ち得るとしたらそういうやり方においてなのである。坂田さんは確かにデルフトの白釉陶器やピューターを美しいとするけれど、それは一般名詞としてのそれらではなく、坂田さんの眼の前にあるひとつひとつの陶器やピューターであり、いつもその特定の物を通じてしか美しさについて語っていないように思われる。その意味で坂田さんは、利休や柳宗悦のみでなく、日本にたくさんいたはずの、物に生命を与え、そして物以外何も後に残すことなく去っていった人たちの後継者でもあると思う。彼らの言葉も名前すらも残っていない代わり、そういう人たちがいなければ残らなかったはずの物が現に残されているのだから。それらの物と同じく、坂田さんの取り上げる物もそれを買う人がいるかぎり、いずれは古道具坂田の空間から消え去っていく。その点でなまじ美術館の所蔵品のように一カ所に留まるがゆえに価値として権威づけられることもない。だからこそ本当の意味で創造的であり得るし、坂田さんは「物」という人間の欲望と最も深く関わる分野を始終相手にしながら、欲望とは全く無縁な人なのである。
 数年前に坂田さんは房総半島に小さな美術館をつくった。目白の店と同じく他のどこにもないようなすばらしい空間で、かつて古道具坂田の店内に並んだ物が展示されている。店という機能や広さの点で目白の店には色々と制約があるから、この純粋な展示空間を得て、坂田さんはそれぞれの物にさらにふさわしい場所を見出したように思われる。特にアフリカの物を十分生かすにはそれだけの空間が必要であったにちがいない。美術舘の名前はas it is、つまり「あるがまま」。この言葉が柳宗悦の最晩年の講演の一節から取られたことを坂田さんから聞いて初めて知ったが、柳宗悦は最後まで知識にとらわれず直観で物を見ることの大切さを説き続けていた。確かに人が「あるがまま」で生きることがむずかしいように、「あるがまま」に物を見ることも実はむずかしい。既成の価値観や知識なりにとらわれていることがどれほど多いかは私自身身をもって感じている。とすれば、物が見えるということは、何よりもその人がこの世を本当に開かれた眼で見ているかどうかにかかっているのではないだろうか。何ものにもとらわれずあるがままに見ることができれば、ふとした瞬間に「なんでもないもの」のうちに「なんともあるもの」、つまり今まで気づかなかった美しさが見えてくるときがあるということを坂田さんの眼はいつも伝えようとしてきたのだと思う。それは最初から見え見えの美しさではないから、見る人次第であって、ある意味で「わかる人にしかわからない」のだけれど、それは別に能力の有無を言っているのではなく、物にかぎらず、その人の眼が本当にこの世界に対して開かれているかいないかの問いかけなのである。結局「物」も人が関わる「物」であるかぎり、最後には「人」に還っていくのだろうし、確かに「あるがまま」は坂田さんその人の姿勢でもある。
 残念ながら写真でしか見ていないが、as it isの展示のなかで特に心に残っているのは木綿の雑巾である。一人のおばあさんが大事に取っておいた物であると聞いた。藍染めや何かの木綿が日用で繰り返し使われ、次第に姿を変え、小さな裂になって最後にたどり着いた姿である雑巾。それは確かに美しかった。中世のキリスト像と木綿の雑巾を全く同じレヴェルで取り上げることのできる坂田さんの姿勢に感心したのはもちろんであるが、坂田さんの眼は中世のキリスト像だけでなく、木綿の雑巾にも何か神に近いものが宿っているのを見て取っているように思われた。作り手だけの問題でもなく、使い手だけの問題でもなく、それを取り上げた坂田さんの眼だけの問題でもなく、いまそれを見ている誰かの問題でもなく、その物を取り巻くすべての時間と空間がひとつになった瞬間に感じられる美しさのなかにある何か。恐らくそれこそ、坂田さんに「美しさとは何か」という問いを投げかけ続けているものにちがいない。きわめて曖昧な言い方になってしまうが、坂田さんの根底には原初的な宗教的なものへの感性がいつも流れているように感じられるのである。そしてそれが坂田さんの眼の在り方の本質に関わっていると私は思う。
受け手と送り手
 
先日、中原中也の日誌が新たに発見された。その中に「‥・自我をふりかざす近代文学は、絶えず山登りでもしてゐるやうに熱っぽいものでございますので、それがイヤになり・‥」というフレーズがあった。この文学という文字を芸術に変えても同じで、明治時代に近代芸術が輸入されてから、どうも日本の文化の在り方が大きく変わってしまったようだ。芸術はゼロから苦悩しながら 創造し、構築していくものというイメージが根付いている。これを送り手の文化とするなら、日本人が得意としていた受け手の文化というものがある。幅の広い文化であるが、そのうちの一つに「見立て」使いがあり、表装のような演出も含まれる。千利休が完成させた茶道の多くは、受け手の文化で成り立っている。
 坂田さんがされている仕事は、受け手の文化の素晴らしい継承だと思う。坂田さんに拾い出された物がお店に並ぶと、道具としての本来の用途から離れて別の姿を見せ、生き生きとして実に楽しそうである。これは「美を発見する」とても創造的な仕事であり、手で作り出すものではないが、「眼の仕事」として学ぶべきことが多い。  作家である送り手の文化人とこの受け手の文化人は同列だと私は捉えている。選ばれた道具たちが、百草という空間でどんな楽しい表情をみせて呉れるか、どうぞ御期待願いたい。
ギャルリももぐさ 安藤雅信
小土器 ヨルダンBC25〜30C
坂田和實 略歴
1945 福岡県北九州市生まれ
1973 古道具板田設立開店
1994 美術舘 as it is 設立開舘
企画展覧会
1977 アフリカの古民具展
1978 Primitive Art 展
1980 望月通陽染布展
1981 英国のスリップウェアー展
1983 望月通陽展 李朝木工小品展
1985 中国彩文士器展 李朝の民画展
1988 アフリカ・ドゴン族のはしご展
1989 西洋木版古カルタ展 アフリカのフォルム展
1990 西洋の中世・近世工芸展 エジプト コプト裂展
1991 ドゴン族の扉と日本の土器展
1992 日本の野良着・仕事着展
1993 古い金属の造形展
1994 西アフリカの土偶展
1995 西洋銅板手彩色プリント展
1996 マダカスカルの木彫とピグミー族のタパ展
1997 オランダ白釉陶器展
1998 李朝の鉢と碗展
2000 李朝の平瓦と懸け花展
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