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金工 竹次郎の生活道具展 1999 9月15日(水)〜10月3日(日) |
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物造りの性と生活
芸どころ名古屋には、茶道文化が息づき盛んである。美味しいお菓子屋さんはもちろんだが、茶道具屋さんや千家十職のような茶道具作家も茶人たちの脇をがちっと固めている。その茶道具作家の金物師長谷川一望齋が、竹次郎さんである。三代目一望齋を襲名して五年、それから竹次郎の本名での個展は初めてとなる。一望齋と竹次郎とでは何がどう違うのか。このことは僕だけが感じているわけではないと思うが、竹次郎さんには茶道具師だけに収めてしまっては勿体ない何かが潜んでいる。その竹次郎さんに物造りでいたずら好きの神様が住んでいることを発見したのは、長谷川家をお邪魔した時に見た家族の為に作ったという小道具たちだった。家族一人一人の為に作った箸と飯碗、バターナイフ、スプーン類、湯豆腐掬いなどの台所用品。子供の為に作った全て銀で出来たママゴトセット。奥様のまみさん愛用の陶器の石鹸入れを割ってしまった償いに、その日の夜のうちに作ったという銀製石鹸置。自分の旅行の時に鞄に潜ませていく、旅持ち茶道具セット。今まで外で発表されてきた作品とは表情が違う数々の道具たちを見て、この方は真に物を作る為に生まれてきた稀有の作家だと感服したのである。何人も立ち入れないその世界をこじ開けて今回の展覧会をお願いしたのは、唯一垣間見た物造りの性から洩れ出た生活色に親近感を覚えたことと、そのような生活道具を私自身が使ってみたいと強く感じたからである。竹次郎さんの家族への愛情を横取りするようで申し訳ない気持ちだが、家族の幸せを伝播する布教活動と思いたい。
“竹次郎の生活道具展”としたが、我々が考える一般の生活道具ではなく、あくまでも竹次郎さんの生活が中心の道具展になっている。茶人として、また彫刻師としてはもちろんのこと、竹次郎さんには見えて我々には見えない世界のものも含まれる。竹次郎さんのすべてといいたいような展覧会である。
作家とか職人とかの枠組を超越してしまっている竹次郎さんを、育んできた名古屋という街に他所者として感謝したい。 ギャルリ百草 安藤雅信 |
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初めて安藤君に会った時、僕の気になるものを持っていた。譲って欲しいと言ったが、駄目である。当分の間、お貸ししますと言う。今度は僕が駄目である。預かり物を自室に持ち込む訳にはいかない。その後、高麗茶碗を持ってきて、今度の展覧会の旅持用に仕組んで欲しいと言う。厳しい線と手の中にぽっこり入る姿に僕はまた欲しくなり、別の茶碗で仕組むからと頼んだが、駄目である。断られたのが二回も続くと腹が立ってくるが、彼が帰った後は妙に清々しく、隅に置けない男に然う然う会えるものではないと、北叟笑むのである。 たかが茶である。されど茶である。安藤君も僕と同様この範疇を右往左往の勉強中然りであろう。 僕が自作のものに対して語らないのは、それらがまだ語る要因を持っていないからである。嫁に出し、使い手が息を吹き込んで初めて言葉を持ち始めるのであり、時として作り手の意図と反することも有り得るという事実を、僕たち工芸の人間は覚悟しなければならない。激しく自分の軌跡を残そうとする使い手に出会えるのが、作り手の願いなのである。 |
長谷川竹次郎 |
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長谷川竹次郎作家歴 |
1950 |
長谷川一望齋春泉の次男として名古屋に生まれる |
1968 |
人間国宝関谷四郎氏に鍛金を師事 |
1971 |
名古屋に帰り、父春泉の元で従事 |
1984 |
日本工芸会正会員 |
1994 |
「一望齋春洸襲名展」名古屋美術倶楽部 |
個 展
名鉄百貨店(名古屋)名鉄丸越(金沢)
西武アートフォーラム(東京)丸栄(名古屋)等 |
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