伊藤慶二略歴 |
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1935 |
岐阜県土岐市に生まれる |
1958 |
武蔵野美術学校では森芳雄、山口長男、棟方志功等に教わる |
1960 |
岐阜県陶磁器試験場に入り、日根野作三先生に師事、“焼きもの”を知る以来交流は亡くなるまで続く |
1963 |
J.D.C.A.(日本デザインクラフトマン協会)入会 |
1982 |
同上退会 集団の眼に見えぬ「かたち」より、個の眼にみえる「かたち」を大切にしたい |
1973 |
ギャラリーユマニテで5人展 土(焼きもの)を素材にした造形物体の展覧会の黎明期となる
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1981 |
ギャラリーマロニエ「CLAYWORK'81」グループ展を企画 |
1987 |
ギャラリー白「シリーズ土一華麗なる変身」村松寛氏企画 |
1992 |
「陶一空間の磁場」石崎造一部氏企画(これ等の企画はお互い個の交流を重視する動きとして現れた 最近では1997ASAMA工芸館で「陶磁の形11人展」に出品) |
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1975 |
マイ・スタジオ一作陶 |
1978 |
世界クラフト会議 クラフトコンペ受賞 |
1979 |
'79日本クラフト展受賞 |
1981 |
ファエンツア国際陶芸展受賞 |
1994 |
滋賀県立陶芸の森に招待され、ワークショップ・スライドレクチャー・作品の成形一焼成 外国、国内の研究生とは宿舎を共にし、楽しく交流を深める |
1995 |
土岐市にて「ファエンツア国際陶芸展日本人受賞展」企画 土岐市はファエンツアと姉妹都市であり、この開催で市は陶芸界に大きな意味で価値付けられたのではないか |
1998 |
EASTWESTCER仙ICS COIユABOR?IlON(ハワイ大学企画)に招待され一カ月間制作9カ国から参加した陶芸家との交流は意味深いものであった国際陶磁器フェスティバル美濃’98のアドバイザーとなる |
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1976 |
三上次男先生の紹介によりグリーンギャラリー個展(76・78年二回)祥雲堂個展(以後四回)中嶋さん(いきなダンナ)を知り、今は二代目の息子さんとなる長いお付き合い |
1992 |
ライフギャラリー点個展(94・98年三回)オーナーの新田夫妻にはお世話になり多くの九州の人に会う機会を作ってもらっている なかでも料理人の佐々木志年さんとはこれからも楽しく、面白くありたいものだ |
1994 |
めいてつ美術画廊にて初めての茶碗を発表 日根野先生には「茶碗ほど面白いものはない 50歳を過ぎて理解できたら造れ(理解できなければ造るな)」と云われていた私にぼちぼち出来だした |
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1980 |
地元の作家達とMINO展を企画 地方の「人」「もの」の交流を図るその成果は現代陶芸のグループ活性化につながったのではないか |
1988 |
第9回MINO展 女性陶芸家18名との交流を最後に解散 |
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1983 |
BRAUNSTIN GALLERY(サンフランシスコ)個展陶額堂企画 |
1995 |
HETJENS美術館(ドユツセルドルフ)個展GALLEERY BOWING(ハノーバ)ローザンヌ装飾美術館(スイス)を巡回 |
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1983 |
信州の土塀に囲われた民家の土間と庭でインスタレーション |
1992 |
福井の武家屋敷の門がある遊悠文庫(古い民家)の内(5室)外(庭)を使って展示する |
1998 |
明治時代の民家を移築したギャルリももぐさの柿落としに、私の個展「伊藤慶二展 1965−1998」が企画された |
1999 |
1900年代最後の年に、区切りとして今まで作り続けてきたライフワークのHIROSHIMA Series(1972~1999)がギャルリももぐさにおいて企画された |