1969 愛知県名古屋市に生まれる
1990 愛知県立瀬戸窯業高校陶芸専攻科修了
1992 三重県四日市市に移り独立
1993年より個展を中心に活動
1999 「東海の陶芸」展(名古屋国際会議場・愛知)
2000 「うつわをみる–暮らしに息づく工芸–」展(東京国立近代美術館工芸館)
2003 「UCHIDA KOUICHI」展(Paramita Museum・三重)
作品集『UCHIDA KOUICHI』を求龍堂より刊行
2004 「静謐なかたち 内田鋼一 Uchida Kouichi works2003–2004」展(4th MUSEUM RIVER RETREAT 雅楽倶・富山)
2006 陶芸の現在、そして未来へ Ceramic NOW+」展(兵庫陶芸美術館)
“SOFA”(ニューヨーク)
JAPANESE CRAFTS(ギャラリーベッソン・イギリス・ロンドン)
2008 「新進陶芸家による『東海現代陶芸の今』」展(愛知県陶磁資料館)
“melbourne Art Fair”(オーストラリア・メルボルン)
“Rosso: Uchida Kouichi”(Daniela Gregis・イタリア・ベルガモ)
「aim (art in mino)’08・土から生える」展(多治見市、土岐市、瑞浪市・岐阜)
2009 「第43回『明治村茶会』日本庭園、野点席 席主担当」(愛知県犬山市明治村)
2010 「第3回智美術館大賞展 現代の茶−造形の自由」展(菊池寛実記念 智美術館・東京)
「茶事をめぐって−現代工芸の視点」展(東京国立近代美術館工芸館)
2011 「『MADE IN JAPAN』内田鋼一collection」展(museum as it is・千葉)
「内田鋼一 茶の空間」展(樂翠亭美術館・富山)
「井上有一・内田鋼一」展(箱根菜の花展示室・神奈川)
2012 越後妻有アートトリエンナーレ(十日町・新潟)
「交差する視点とかたち」展(札幌芸術の森美術館/北海道立釧路芸術館) “SOFA”(シカゴ)
2013 「内田鋼一展」—うつわからの風景—(Paramita Museum・三重)
2014 「内田鋼一展 —猿楽にて」(代官山ヒルサイドテラス・東京)
2015 「工芸を我らに」(資生堂アートハウス・静岡)
「内田鋼一—手と眼—」(楽翠亭美術館・富山)
三重県四日市市に「BANKO archive design museum」を開館
2016 「内田鋼一展 —いろいろ」(代官山ヒルサイドテラス・東京)
2017 「形の素展」(樂翠亭美術館・富山)
2018 「内田鋼一展 –時代をデザインする」(兵庫陶芸美術館)
他、スペイン・フランス・イギリス・イタリア・オーストラリア・西アフリカ・ベトナム・タイ・韓国・中国・台湾・インド・アメリカ・南米等で制作及び発表。
白い句集/山口信博
水枕ガバリと寒い冬がある 西東三鬼
三鬼の代表句。三鬼は新興俳句運動の旗手だった。私は子供の頃から病弱で、よく熱を出した。そのたびに水枕を母に作ってもらった。後年、三鬼のこの句を知って、愛唱句のひとつとしている。自らの記憶と結びついているからだろう。水枕のレンガ色、質感とそしてゴムのにおい。熱にほてった頭を水枕にあずけると、水がガバガバと鳴り、すこし角がとれたらしい氷の形がゴム越しに感じられた。水枕は、熱がもたらす浮遊したような不思議な夢の入口のような気がした。
海溝へ鱗落ちゆく月夜かな 方眼子
方眼子は山口信博の俳号。たぶん、病気がちだった子供の頃に見ていた夢と三鬼の句とが結びついて生まれたのだろう。
生まれて初めて黒人を見たのは神楽坂だった。叔母に連れられ後楽園球場の木下サーカスを見に行く途中だった。坂を下る途中でふりかえると大きな黒人兵が立っていた。驚いておもわず、車道に飛びだし、危うく車に轢かれそうになった。下り坂で車が徐行していて命びろいした。そこで記憶が途切れ、いきなりサーカス小屋のテントの空中ブランコに記憶が飛んでしまう。浮遊感とロープとテントの布地と、馬が走った円形の足跡とほこりのにおい。色と形とにおいが未分化で交ざりあって記憶の底に沈んでいる。
それを引き出してくるのが、私にとっては詩歌である。
サーカス 中原中也
幾時代かがありまして
茶色戦争ありました
幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました
幾時代かがありまして
今夜此処での一と殷盛り
サーカス小屋は高い梁
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ
頭倒さに手を垂れて
汚れ木綿の屋蓋のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
それの近くの白い灯が
安値いリボンと息を吐き
観客様はみな鰯
咽喉が鳴ります牡蠣殻と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
屋外は真ッ闇 闇の闇
夜は劫々と更けまする
落下傘奴のノスタルジアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
たぶん、中也は音や色や形がないまぜで未分化の共感覚者だったのだろう。「ことば」は文字に表され定着される。一方、「ことば」は、声に出し発語されるものでもある。二極へ分極化した「ことば」の一極の文字を視覚を通じて目で見て読む。黙読しながら、内語で発語しているはずだ。私たちは、そのようにして「ことば」を味わっている。視覚と聴覚と味覚がない交ぜになって生きているのだろう。
中也の詩は、意味仕立てで出来ている訳ではない。いくつかの感覚の間で引き裂かれているか、あるいは板ばさみになりながら味わうしかない。その「間」こそ「余白」であり、そこからあらゆるものが創造されると思っている。白は始まりであり終りのことだろう。
昨年、古稀をむかえそれを期に句集を上梓した。老残の身をさらした感がなきにしもあらずだが、まぎれもない「私」がそこにあると思う。
句集名は「かなかなの七七四十九日かな」である。
小野善平 略歴
1946年岡山に生まれる。
1981 勤めを辞めオリエント考古美術を商う
仕事を始める。エルサレムに立つ。
1985 トルコの絨毯を商いに加えたくて、
イスタンブールに立つ。
1990年 ガベとの衝撃的な出会いにより、
シラーズに立つ。
以後、各地でガベを紹介する催事をお願いする。
「 洗面器 」
水面
朝一番
顔を洗う
今日のはじまり
白い顔
白石鹸
顔を洗って 、、、
生まれ変わったつもりで
白紙から
キレイに流す
何の用途にもなる
1975 鉄工所の家に生まれる 家もほとんどない山の中で、父の建てた家で生活する 犬や猫や鶏、銀色の猫柳の記憶
1981 小学生に上がる頃、名古屋市の外れに引っ越しする 絵の教室に行かしてもらうが絵を描いた記憶があまりない ピアノを習いはじめる
近くに池がたくさんある環境で
日の出とともに一人でも出掛けるほど釣りが大好きだった
ステンレススプーンを使ってルアーをつくる時、1ミリの穴開けに苦戦
折りたたみナイフの木の柄を刃物で削ったり、紙ヤスリで削ったりして
いたらたまたま汚い油が染み込んでしまった
それを見て、何かを感じハッとさせられた
いろいろと分解するのが好きだったが、直せず良く物を壊していた
1988 授業で作ったブリキのちりとり、真鍮の文鎮、キーホルダーを100点 満点だと褒めて貰えたのがとても嬉しかった 古い車の載った雑誌が好きだった
山の中に防空壕らしい洞窟を発見し、松明を持って良く探検に行く
1993 スノーボードに夢中になり、おもしろい山があると聞くと車中泊しながら廻る
大学卒業後、東北で生活
登山やバックカントリーをしたり、住みたい場所探しをはじめる
静かな雪山に入ると日本も外国もないのではないかと感じる
愛知、岐阜に現存していた野鍛冶を巡りはじめる
何かを作りたくて色々な作り手を訪ねているうちに鉄の仕事に出あう
2001 松岡信夫氏に弟子入りする 小さい畑で野菜を作ったり、山菜を食べて生活
発掘品のようなアクセサリーを作って、表参道の路上で販売をする
自分の中では、初個展だと思っている。
2004 自分の作りたいものを見つける為に修行を辞める 田舎の生活に憧れていたので、岐阜県の森林組合で働きながら暮らす
少しずつ自分の仕事をはじめる
古物商の免許を取って業者市に行く
2006 名古屋市の外れに仕事場を持つ
2014 小学生の頃からあった近くの山の廃屋を手に入れる
金森の名から、お金が森のようになるかもと少し期待していたが お金ではなく、金物が森のようになるだけだと気付く
1979年埼玉県生まれ 中1の夏、父の仕事の都合で突然メキシコへ。ラテンな4年間を過ごし高2で帰国。 帰国後はバスケとモノクロ写真部とバンド活動。 1998 武蔵野美術大学に入学し、sunuiのメンバーと出会う。 sunui(片平晴奈 白石陽子 冨沢恭子 根岸麻子)はインテリアデザイン、木工、テキスタイル、金工専攻。 2000 大学2年の春、バイト代を握りしめタイ・ラオスへ3週間の4人旅。 2004 冨沢は大学院を卒業、片平と根岸は仕事を辞める。sunuiがはじまる。 4人で手を動かしているとき偶然に起こる素材や感性の出合いを見逃さずに拾い上げ、 縫いつないでかたちにするのがsunuiのものづくり。 白石は2015年にニットウェアブランド“babaco”を立ち上げ、現在babacoに専念中。 ソロ活動としての柿渋染め作家とバンドのようなsunuiの2足のわらじを履くこと15年。 染めて、縫って、作って、笑って、食べて、飲んで、歌っていたら 気がつけばアラフォー! どんどんサイズが大きくなってきている柿渋染めのかばんとsunuiの手遊び的ものづくりに、 メキシコの大らかで土着的な風土が重なってきているなと最近、思う。
1979年1月
いわさきちひろの描くような女の子になりますようにと名付けられる
3歳 スイミングスクールに入り
泳ぐのが好き お風呂でもできるなら泳ぎたい。
趣味で畑をしていた父と焚き火をする記憶。
幼稚園
板と釘とゴムとスクリューで親と一緒に船のおもちゃを作るイベントがあった。
今欲しいと思うくらいいい感じの作りだった。
小学生
一人でストッキングと段ボールで スキーを
牛乳パックでカメラを
粘土で寿司を
布で猫を作る。
友達の間では漫画の小冊子を作るブーム。
魔女の宅急便(原作)を図書館で見つけ
魔女にハマる。
自分でも魔女が出てくるお話を書く。
中学
美術部に入る
多摩美出身もじゃもじゃ頭でヒゲの斎藤先生に多摩美に連れて行ってもらう。
きれいに整備されていない汚い作業場がすごくかっこいいと思った
ここに来たいと思った。
中学2年 ちゃんと聞いていても数学が全く理解できなくなる。
美術コースのある高校に入学
教室で猫を飼ったり
ギターを弾いたり
ひまわりの種を植えたり
とてものんびりとしたメンバーと美術を学ぶ
鉄の錆びた大きな彫刻に憧れる
アントニーゴームリー展などに感銘。
地元の小さな美大予備校に通い出す
鉄塔の写真を撮るため、無断で近所のビルに登り夕暮れに撮影。
ドキドキしすぎて初めての受験全く力出せず多摩美落ち、一浪ののちムサ美合格。
実習を2年間一緒にまわったクラスは
その後専攻が変わっても仲良し。
男女関係なく今も関係が続く。
そのうちの1人が冨沢恭子さん。
大学2年の夏終わり
芸祭の準備にて電動ドライバーの使い方を教えてくれた男子と仲良くなる。
大学2年冬 テキスタイルを使った大きなオブジェか
金属の大きなオブジェか迷い
金工を専攻。
クリスマス、青木野枝展に出かけご本人と握手。
嬉しくて手に汗。
卒業制作
鉄鍛造 真鍮を使い作品を作る。
タイルの上でたどたどしく歌う。
この頃から、制作スタンスはあまり変わっていない。
卒業後は制作から離れる。
飲食店などで働き悶々とした時代を過ごすモンモン時代が数年。
ひさびさに大学時代の友人のアトリエで、金属の作業、ハンマーで金属を叩く。
きもちいい!!!
やっぱりまた金属をやりたいと思い、小さな真鍮の板のかけらをオブジェとして作り始める。
制作にとっても良い刺激をもらえるところで働きたいと思い ギャラリー勤務と制作の二足のわらじ生活 今年で13年。
たくさんの人との出会い。
ご縁。
こうやってこんな金属を作り続けていられることに、時々ふとびっくりする。
見た人や、作った本人が、小さな光や気持ちの良い驚きを受け取れるものを作りたい。
京都で3人兄弟の末っ子として生まれる
えんぴつと紙があればおとなしく過ごす
小学生のとき晩ごはんの盛りつけはこうしたほうがいいとなまいきなことを言う
15才のとき部屋の散らかり方に美しい散らかり方とそうでないちらかり方があることに気付く
大学で日本画の勉強をしてみたりする
2006 京丹波の陶芸家の出会い美しいくらしにふれる この頃から古いものを買ってみるようになる
2013 松本の木工デザイナーに出会う 何でもない僕に何かを与えてくれる
2014 古道具「古い道具」をはじめる
2016 名古屋の金物作家に出会う 何かはじまりそうな気がする
2018 20年ぶりに新幹線に乗る つづいて、飛行機にも乗る
1982 愛知県生まれ。
小学生一年生の写生大会でザリガニの絵が上手に描けた。この絵は今でもはっきり覚えている。好きになったきっかけだった。
2002 大学で彫刻の勉強をする。
2006 卒業後、山梨の家具工房で6年間働く。
ここで生活のための道具を製作することで物を作る考え方が少し変わってきた。それと同時に自分に向いている感覚があった。
2012 独立。愛知に戻る。
家具製作を一時お休みしてうつわ製作に専念することにした。
このころ、長谷川まみさんとyamahonの山本さんに会い、うつわ製作にどんどんはまっていった。
2016 京都やまほんで初個展
銀座日々で長谷川まみさんと二人展
2017 gallery yamahonで三部作展
埼玉のyaichiで個展
mina perhonen callに作品を置かせてもらう
2018 京都やまほんで個展
和紙で作る空間とそこに置かれる絵画を制作していくうちに、モノと空間の境界の緊張感がもたらす心地よさを感じはじめました。
いつの頃からか紙漉きとしての本名と作り手としてのハタノワタルを使い分け、作品発表をするようになってきました。
1997年より昔から続いてきた仕事を体感したいと興味本位ではじめた紙漉きの暮らしは、過去の遠くと見えない未来の間、都市と田舎の間、日本と世界の間を感じるようになり、今の制作につながっていると思います。
今回のテーマである「白」を色としての白ではなく、モノとしての白と捉え、現在作品を制作しています。
1971年淡路島生まれ。
德永直子 製本家
1976年福岡生まれ
2001 ハンブルクの製本・修復工房で見習いとして1年間技術を学ぶ
2007 東京のルリユール工房にてエコール・プログラム修了。ツヴィリンゲとしても活動する。
2013年より5年間、製作を休止していたが昨年より再始動。
1976年 福岡市生まれ
2007 德永直子と姉妹ユニット「ツヴィリンゲ」を立ち上げ、以後、個展やグループ展で作品を多数発表。
2013 フレーベルの星の制作をあらたに開始する。
2016年より「シュヴァン」の名前で自身のクライスターパピアを制作をしている。
2019. 2. 1 fri & 2. 2 sat 11:00—
Organic Vegan Sweets“Chocolat Chaud”
オーガニックチョコレート、カカオたっぷりのショコラショをとっておきのアーモンドミルク仕立てでお召し上がり頂けます。
(予約制ではございません。詳細はホームページをご覧下さいませ。)
営業時間は11:00—18:00(17:30オーダーストップ)となります。会期中はルヴァンのパンを使ったオープンサンドと季節の野菜のスープランチを供します。(限定数)
メニュー・お席のご予約は致しかねます。
日 程 2019. 1. 27 sun 14:00—15:30
場 所 百草 2F
参加費 無料
20世紀末に百草を開廊し、今秋より21年目を歩み始めた。来し方を振り返ると、無自覚に進んできた道が一本の線のようになっていたが、立派な道ではなく「どっちつかず」のフラフラなものである。それを色で表すならば「白」であろうと、今展参加の山口信博さんの著書「白の消息」を読んでいて思った。そもそも先日出版した僕の初の著書「どっちつかずのものつくり」のタイトルも、山口さんがヒントを下さったもので、どっちつかずの先達なのである。山口さんには句集の出品と共に、対談をお願いした。
「どっちつかず」感が漂っている作家たちに出品を依頼し、「あなたにとっての白」というテーマで作品をお願いした。振幅の広い「白」が観られそうで楽しみである。
百草 安藤雅信
山口信博 1. 27
内田鋼一/Banko A. D. Museum 1. 26
金森正紀 1. 26, 27
紀平佳丈 1. 26, 27, 2. 11
冨沢恭子/sunui 1. 26
秋野ちひろ 1. 26
古い道具 冨永淳 1. 26, 27
ハタノワタル 1. 26
Zillinge 徳永直子 1. 26, 27
Zillinge 森住香 2. 10, 11
Gallery ONO 1. 28
安藤雅信