ギャルリももぐさ/百草
作品/百草
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幾一里   佃真吾
石井直人   ギャラリー啓   関美穂子
百草冬百種展「京都から」
2008 1月26日(土)〜2月11日(月・祝)
11:00〜18:00
会期中無休


李青の会

ピビンバ トック 韓国茶 菓子

2月11日(月・祝)  11:30〜/13:00〜/14:30〜

各席10名2,500円(税込・予約制)

phone / 0572-21-3368 fax / 21-3369

E-mail / galerie@momogusa.jp

幾一里 古道具
石井 直人 焼き物
GALLERY 啓 古布
関 美穂子 型染め
佃 真吾 木工
李青 韓国料理



作家在廊日

1月26日(土) 荒井徹・石井直人・川崎啓・関美穂子・佃眞吾

1月27日(日) 石井直人・関美穂子

2月11日(月・祝) 佃眞吾

近くて遠いところ

 
県別で移動しながら御紹介する百種展も今年で4年目4県、個人的な縁によって企画しているので、その時の充満度が決め手となる。京都は伝統とモダン、雅(みやび)と侘(わび)、職人芸と民芸などそれぞれに幅が広く、相反するものも受け入れる文化の中心地であり、一筋縄ではいかないところだから、最後に登場して貰おうと考えていた。

 何と言っても真・行・草という逆転の思想が、私にとって大変手強い。秀吉と利休の確執も、「真」というフォーマルなモノにコンプレックスを持っていたところ、いや「草」というカジュアルなモノも粋だよと提示されたことが発端である。真・行・草を極めた者が、自由自在に草を操る事が出来るようになれば、真という権力までひっくり返すことができるのである。「草」という主体性があるわけでなく、「草」の本質は、常に相手の裏を取るという深さと共にあるのだ。けっしていけずなコトを目的としているわけでなく、このような「草」の自在なキャッチボールが茶の湯を代表する京文化の面白さであり、京都的な教養なのだと思う。前述のことは私の勝手な解釈であるが、京都に対してはどうしても身構えてしまうのである。

 客観的に見た京都は、総花的な楽しさだけでなく、すべてのモノがちゃんと地中の根っこから幹となり枝葉となって分かれ、花も咲かせ、果実も付けている伝統にあろう。しかし、実をもぎ、花を愛でて楽しむことはできても、根っこまで辿り着こうとすると千年は遡る覚悟が必要となる。

 そんな中、私の興味はタワシや金網・箸・下駄・足袋など、手で作られた生活道具の多くが今でも手に入る土地柄の京都の裏通りに向く。その職種の多さに看板を見て歩くだけでも飽きることはない。京文化の多様性を見ながら、民芸と職人芸の違いは何だろうとか、老舗はどうして老舗であり続けられるのかと、私はモノ作りの在り方を考える時、京都を参考にすることが多い。

 今展の京都との縁を見渡した時、「民芸」という言葉が浮かび上がってくる。「幾一里」は、民芸の古道具店。荒井さんの目を通して、時代を乗り越えて残ってきた生活道具の美しさを直球で見せてくれる。とらわれのない清さに憧れる。「ギャラリー啓」は古布の店。川崎さんはもの作りの目を持って布を愛おしみ、その情熱にいつも圧倒される。特に古代布への造詣が深い。丹波に近い京都で焼き締めの器を中心に制作する石井さんは、精神性を感じる作家の一人。生活の中に陶工という言葉が自然に溶け込んでいる。今回の京都展を後押ししてくれた若手の一人、佃君は弟子修行できっちりと基本を身につけた上で、民芸から茶道具まで幅広く骨太であり繊細。ようやく登場した自己表現系ではないモノ作りだ。一番若手の関さんは、型染めという民芸的な技法を手中に収めながらとらわれることなく、題材は現代的ですがすがしい。
 「李青」は私にとっての京都の核。李朝好きな人が襟を正せる希有な店。鄭さんと話しているとモノではなく文化を通して畏敬の念を持って朝鮮文化と接することが出来る。

 今年の10月で開廊10周年を迎えられることに感謝の意を表し、それを記念して「作ること使うこと」を一年通して皆様と共に考えていきたい。京都はそれに相応しい場所である。

                          安藤雅信
 
幾一里 荒井 徹
1945年  終戦後のどさくさの晩秋、京都は重文・壬生狂言で著名な
    壬生寺近くで生まれる(現在地)
1964年  高校卒業前の2月に父のアドバイスで信州旅行、足跡一つ
    ない雪の小諸懐古園から見る浅間山と千曲川に感動、信州の
    とりことなる、登山趣味へ そして春、電器メーカーに就職
    社会人としてスタート
    その後、山の行き帰りに求める土産に凝り、その土地の民藝
    民俗に興味、骨董趣味のきっかけとなる
1997年  趣味が高じ無鉄砲にも33年間お世話になった会社勤めを
    辞し、10月に「座辺の骨董・幾一里」を自宅で開店 店名の
    幾一里は、若い時求めた俳人・河東碧梧桐の書から頂戴した
    もの、迷わず命名 千里・万里の道もまず一歩からと解釈し
    ています
2000年  弊店の町家再生に対し、京都市景観・まちづくりコンクー
    ル優秀賞を受賞 この頃から、京に町家ブーム始まる
2001年  5月に初めて東京・広尾にて幾一里東京展を開く 2005年
    まで年一回開催
2007年 10月10日に開店10周年を迎える 記念に「祈りと遊び」
    をテーマにマイ・コレクション・カレンダーを製作
石井 直人

1954年京都に生まれる 小学一年生の2学期に長岡京市に引越し、竹
やぶの中を走りまわる生活
七ツ池のほとりの地面の底から長岡京遺物を採取、飛鳥時代のせんや
土のばく、鉄具等に強い関心がわく
大学で広島方面に転入、大学7年にて卒業 卒論は「医と安藤昌益」
であった
環境問題との出会いから農業を志し、中国山地に入植、3年で限界を
感じ里に下る
白州正子の「隠れ里」を読んで伊賀土楽陶苑に入門 職人さんとの仕
事は大変貴重なものでした
信州より車で放浪、土を求めて種子島、沖縄にたどりつく 沖縄で少
し仕事
自分のなかの陰影に気づき、本州にもどる 亀園の窯にて間借り製作
3年半
丹波町の原野を発見 雑木の伐採から始める 町道の問題から最小限
の建物を建てる 懐玄軒と命名
連房式の登り窯を築く 母屋は八日市の農家を解体移築しました 
以来、年に一度の焼成のペースで製作中

GALLERY 啓 川崎 啓

19忘年 古布と革を組み合わせたバッグやオブジェなどのものづくり
    を始める
19忘年 京都「ギャラリーマロニエ」にて作品を常設
    以後、呼吸するがの如く、生活の中でものづくりが日常化し
    ていく
1988年 京都で初の個展を持つ
1992年 京都嵐山で、小さなアトリエを兼ねた骨董屋を始める
    9年間ものづくりと骨董の両立を続ける
2001年 寺町通りに店を移転 一生の仕事と思っていたものづくり
    を休止、古布を中心に骨董に専念する
    ものづくりは今ある為の過程であった、と実感する

関 美穂子

1980年 神奈川県出身
2000年 京都の染織家、堀江茉莉に師事し型染をはじめる

佃 真吾

1967年 近江 長浜に生まれる 少年期パンク・ニューウェイブに
    染まる 斜に構えるクセがつく
1985年 大阪に移り、60’SとModsに明け暮れ、音楽活動する
1990年 京都に移りBand仲間の家業である家具工場に勤め木工の道
    に入る
1991年 仕事を終えると夜は黒田乾吉木工塾に通う くり盆や木漆
    一貫仕事を学ぶ そこで民芸や民俗を知ることとなり、梁山
    泊の様な塾での体験を通じて「日本人の木工」への想いをも
    つことにな

1995年 運よく京指物の工房に弟子入り 京都の仕事の奥深さを知る
2004年 長い修行期間を終え独立 工房を構える
2005年 民藝寄りの国展工芸部に出品しはじめる
2006年 国展 国画賞受賞 会友に推挙される

李青 鄭 玲姫(チョン ヨンヒ)

1947年 大阪生まれ 生後すぐに京都へ 地元の小学校、中学校、
    高校へと進み東京の短大を卒業
    その間父親が事業の傍ら始めていた小冊子「日本の中の朝鮮
    文化」にともなう韓国古美術蒐集を横で見ていた
1970年 結婚し主婦業に専念
1985年 子育てが一段落した頃自らも古美術に興味を持ち始め家計
    をやりくりし骨董を集めだす
1988年 父親が京都に「高麗美術館」を開館
1993年 東京神田の「李白」を訪れ打撃を受ける
    美術館の宣伝の為にも文化都市京都にこの様なお店が絶対必
    要と使命感を勝手に持ち一念奮起
1998年 11月2日様々な悪条件を乗り越え「李青」をオープン
    今日に至る

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