ギャルリももぐさ/百草
作品/百草
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マリア観音匙 '03
赤木明登展

2003 6月21日(土)〜7月6日(日)
11:00〜18:00
会期中無休
作家在廊日6月21日(土)・22日(日)

ミニ・シンポジウム「下手とわび」
6月21日(土) 16:00〜
赤木明登・内田鋼一・土田真紀
会期中気まぐれカフェ併設
時代を走る
 価値観の大転換の時代が来た。明治以来のことである。若い世代が旧勢力にたて突かなくても、旧勢力の方からガタガタと音を立てて崩れていくようだ。日本が戦後生まれの者ばかりになったら、今までの習慣の半分は失われるだろう。裃や袴から洋服へというように見た目が変わったわけではないので実感できないかもしれないが、冠婚葬祭に限らず生活全般の意味と質が一気に変わろうとしている。近代的上昇志向の終焉と言ってもいいかもしれない。そして、今新しい芽が出つつあるが、その方向を見定めるのにちょっと歴史を振り返ってみた。

 現在と似たような時代を遡ってみると安土桃山時代と明治時代がある。平民出身の時の権力者が過去の価値観を否定し、海の外からきらびやかな異文化を流入して一気に血を入れ替える。時が経つにつれ、民衆は勝手思いに文化を享受して爛熟期に入る。そこで右に揺れた振り子を左に戻そうとする者が現れる。「わび」の利休と「下手」の柳宗悦である。二人に共通しているのは、精緻で技巧的な京都を中心とした「上手」の職人文化ではなく、表現を最小に押さえながら、結果として最大のものを伝える「下手」な文化を取り上げたことである。足し算の美学界に引き算の美学を投げ掛けたと言えばいいだろうか。最近強く思うのは江戸築城400年東京遷都120年を経て、ようやく引き算の美学であり東京発信文化である「下手の美」の逆襲が始まったことである。それが少し遅れて全国同時に広がっている。

 赤木君が10年前にデヴューして漆の世界に新風を巻き起こしたのは、「上手」志向の強い漆器業界に「下手」の美を持ち込んだからである。彼が影響を受けたという角偉三郎さんが風穴を開けたとはいえ、赤木君はモダニストではないという点で角さんと立場を異にしている。モダニズムは広辞苑によると伝統主義に対立して、現代的文化生活を反映した主観主義的傾向とある。二人共その意味ではモダニストのように見える。モダニストには新しさと独創性を求める気持ちが常にあるが、赤木君は敢えてそれらを求めない。古典から現代という「漆器」の縦の文脈ではなく、縦横無尽に「器」の本質に迫ろうとするアウトサイダー赤木明登の姿をそこに見る。彼の存在を脅かす作家たちが現れないのは、彼らが「漆」の世界からだけ「漆器」を見ているからだ。彼の頭の中には、漆器とは別に作りたい生活道具のアイデアが一杯詰まっている。それを実現する手段の一つが漆なのである。中世ヨーロッパの金属のスプーンを誰が漆で作ろうと発想するだろうか。自分の作品を作る前に、常に「物に潜む美」を感じる心を持つことの重要性を彼から教えられる。新しさなど求めなくとも、新しいものはそこらに落っこちていると彼は言いたいだろう。変革の時代を走る彼に、気負いはない。 
百草 安藤雅信
花入 '03
はたして、美しさとかよさとかとゆうのは、そのもの自体に由来して成り立つのだろうか。いい人とか、悪い人とかという言い方もあるけれど、本当にいい人とか、本当に悪い人とかは、どこにもいないと思う。いいか、悪いかも、その人と誰かとの関係性の中にしかないのだろう。同じように、ものも誰かとどのような関係を紡ぐかによって、美しいものになったり、醜いものになったりするとしかボクには思えない。ならば、今のボクにできるのは、ボクの作ったものと出会う人が、ボクの作ったものと少しでもよい間柄になれるよう夢を見ること。そのようにして、素材を選び、技術を工夫し、形を整えていく。ものを作ることは、失われてしまった友情や、かなわなかった愛情からの恢復を切なく願うのにも似ている。
赤木明登 2003
旅持茶箱揃 '03(茶碗 安藤雅信)
旅持茶箱 全5種
金工 長谷川 まみ・畠山 耕治  陶器 内田 鋼一・安藤 雅信  布 真木 香
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