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 伊藤 慶二 HIROSHIMAシリーズ'72

伊藤 慶二展

1999
7月31日(土)〜8月15日(日) 
8月6日休(茶会のため)

11:00〜18:00


伊藤慶二「陶を語る」
7月31日(土)14:00〜16:00

対談者
荏開津喜生(岐阜新聞論説委員)
不動美里(岐阜県現代陶芸館学芸員)

茶会(要予約)
8月6日(金)11:00〜 13:00〜 15:00〜 17:00〜

オープニングパーティ

7月31日(土)17:00〜19:00
一品持ち寄り

終わりのない責務

 どうして慶二さんがヒロシマシリーズなのですかとよく尋ねられる。被爆者でなければヒロシマを題材とすることはないだろうというような風潮が、確かに日本にはある。芸術までもが消費物となるサブカルチャー全盛時代にあって、社会的な取り組みをするには余程強いきっかけがあると思われるからであろう。芸術の本質には、美を求めることの他に、社会における涸渇感や社会に対する異議を表現することも含まれていたのに、この二〜三十年の間に全ての人が忘れてしまったかのようだ。このヒロシマシリーズは、ただ単にサブカルチャーに流されない気高い一人の芸術家のシリーズ作品に過ぎない。

 しかし、そうはいうものの、二十七年間の継続には感服する。慶二さんは言う、「土だから今までヒロシマを作り続けてこられた。」と。強い主題はおぞましくなることが多いが、題名と作品の細部を見ないと気が付かないくらい、慶二さんの作品は断片的である。決して言葉の多くないこの作家らしい、沈黙をもって語る静かな異議の表現である。作品によって表現しているというより、忘れてなるものかという意志による痕跡に近い。それが、1900年代最後の年を飾るヒロシマシリーズ新作は、作品という意識の基に作られ、人々に伝えたいという気持ちを初めて持たれたと言う。ヒロシマ原爆の資料を読み込み、原爆の熱量を薪窯に置き換え、また爆弾の衝撃を物語るような鉛を溶かし込んだ実験作となった。

 一方、平和を象徴するようなオーナメントも今回発表していただくことになった。前回の伊藤慶二展では、ほとんど紹介出来なかった作品群である。家族を大事にしなさいとおっしゃる慶二さんの思いが、表れているような具象彫刻たち。家族は平和の源であり、慶二さんのアイデンティティーであると思う。孫が安産で生まれてくるようにと作られた妊婦像を見て、人間の根源的な祈りを感じた。一度に大量の人を殺すことと一つの生命が十ヶ月かかって誕生すること。訴えと祈りは同根である。直接的なメッセージなど作品には盛り込まれていない。ただ人が忘れかけていることを喚起しているに過ぎない。人々が原爆を放棄し、家族の大事さに気が付かない限り、この作家の表現には終わりは訪れないだろう。作家の、そのような責務を常に負っている姿こそが本物の証だと思う。                                 

                                 百草 安藤雅信

伊藤慶二略歴
1935 岐阜県土岐市に生まれる
1958 武蔵野美術学校では森芳雄、山口長男、棟方志功等に教わる
1960 岐阜県陶磁器試験場に入り、日根野作三先生に師事、“焼きもの”を知る以来交流は亡くなるまで続く
1963 J.D.C.A.(日本デザインクラフトマン協会)入会
1982 同上退会 集団の眼に見えぬ「かたち」より、個の眼にみえる「かたち」を大切にしたい
1973 

ギャラリーユマニテで5人展 土(焼きもの)を素材にした造形物体の展覧会の黎明期となる

1981 ギャラリーマロニエ「CLAYWORK'81」グループ展を企画
1987  ギャラリー白「シリーズ土一華麗なる変身」村松寛氏企画
1992 「陶一空間の磁場」石崎造一部氏企画(これ等の企画はお互い個の交流を重視する動きとして現れた 最近では1997ASAMA工芸館で「陶磁の形11人展」に出品)
1975  マイ・スタジオ一作陶
1978 世界クラフト会議 クラフトコンペ受賞
1979 '79日本クラフト展受賞
1981 ファエンツア国際陶芸展受賞
1994 滋賀県立陶芸の森に招待され、ワークショップ・スライドレクチャー・作品の成形一焼成 外国、国内の研究生とは宿舎を共にし、楽しく交流を深める
1995 土岐市にて「ファエンツア国際陶芸展日本人受賞展」企画 土岐市はファエンツアと姉妹都市であり、この開催で市は陶芸界に大きな意味で価値付けられたのではないか
1998 EASTWESTCER仙ICS COIユABOR?IlON(ハワイ大学企画)に招待され一カ月間制作9カ国から参加した陶芸家との交流は意味深いものであった国際陶磁器フェスティバル美濃’98のアドバイザーとなる
1976 三上次男先生の紹介によりグリーンギャラリー個展(76・78年二回)祥雲堂個展(以後四回)中嶋さん(いきなダンナ)を知り、今は二代目の息子さんとなる長いお付き合い
1992 ライフギャラリー点個展(94・98年三回)オーナーの新田夫妻にはお世話になり多くの九州の人に会う機会を作ってもらっている なかでも料理人の佐々木志年さんとはこれからも楽しく、面白くありたいものだ
1994 めいてつ美術画廊にて初めての茶碗を発表 日根野先生には「茶碗ほど面白いものはない 50歳を過ぎて理解できたら造れ(理解できなければ造るな)」と云われていた私にぼちぼち出来だした
1980 地元の作家達とMINO展を企画 地方の「人」「もの」の交流を図るその成果は現代陶芸のグループ活性化につながったのではないか
1988 第9回MINO展 女性陶芸家18名との交流を最後に解散
1983 BRAUNSTIN GALLERY(サンフランシスコ)個展陶額堂企画
1995 HETJENS美術館(ドユツセルドルフ)個展GALLEERY BOWING(ハノーバ)ローザンヌ装飾美術館(スイス)を巡回
1983 信州の土塀に囲われた民家の土間と庭でインスタレーション
1992 福井の武家屋敷の門がある遊悠文庫(古い民家)の内(5室)外(庭)を使って展示する
1998 明治時代の民家を移築したギャルリももぐさの柿落としに、私の個展「伊藤慶二展 1965−1998」が企画された
1999 1900年代最後の年に、区切りとして今まで作り続けてきたライフワークのHIROSHIMA Series(1972~1999)がギャルリももぐさにおいて企画された
伊藤 慶二 はと'99
伊藤 慶二 HIROSHIMAシリーズ'99
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