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2015-03

日本の音楽夜話 8 ロック2

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サディスティック・ミカバンド/黒船

ロック日本語論争の4年後、プロデューサーにクリス・トーマスを迎え、タイトルを「黒船」として、日本語ロックも本格的に欧米進出を意識しているなと思った。高校2年の出たこのアルバムは、日本をもって知らなくては思わせた最初のきっかけとなった。一週間の曜日とか日曜日が休みであることは、どんたくの歌詞で知ったのだ。加藤和彦は挑発にジーンズのようなヒッピー流れのロックミュージシャンなどではなく、デビッド・ボウイやロキシーミュージックのブライアン・フェリーのようなイギリス系のお洒落さん。日本初のコンセプトアルバムじゃないかなあ。明治時代を物語にしたような日本語の詩と、情念のないミカの声、軽やかな演奏。日本のロックがファッションと同じく、一気にお洒落になった記念碑的なアルバムは、1974年に発売された。プロレスで外国人に日本人が勝ったような悦びがあったことを思い出す。加藤和彦のその後は、このアルバムの成功に縛られていたような気もする。早熟な人の運命。

 

日本の音楽夜話 7 ロック

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前回紹介した高田渡がデビューした1970年頃、日本のロック界は英語で歌うか日本語歌うかを問題にしていた。喧嘩をふっかけていたのは、ロック界の重鎮?当時、フラワートラベリングバンドの内田裕也である。彼はロックに日本語は旨く乗らないし、大体海外で通用しないとまくし立てた。「ロック日本語論争」である。ふっかけられた相手は、このはっぴいえんど。団塊の世代の一回り下の僕らから見ると、団塊の世代の行動は右にぶれたり左にぶれたりと、けっして一筋ではなく危なっかしく思うのだが、彼らは日本を背負っているのは俺たちだという自覚が強かった。その表れが、海外進出の英語派と逆に日本人のアイデンティティを守ろうという日本語派に別れただけ。根っこには西洋コンプレックスという共通の思いがあった。

高校生になったばかりの頃、このアルバムを聴いて誇らしく思った。英語派の音楽はただの洋楽コピーに聞こえたが、はっぴいえんどの日本語は、とても美しく、曲にも合っていた。日本が得意とするアレンジメント文化、ここに極めたりという感じ。この2枚のアルバムが、後進にあたえた影響は大きい。

右のゆでめんと書いてある方がデビューアルバム。英語を日本語のひらがな表記した「はっぴいえんど」というバンド名といい、つげ義春を思わせるジャケットといい、日本人のアイデンティティを西洋文化の影響を受けながらも全面に出していたのは1975年頃までか。つづく

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