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2014-07

ジャズ雑記 14 お国柄2

ドイツのレーベル、ECMはといえば残響音が効いた録音である。賛否両論が昔からあった。演奏もそうだが、音がどうもジャズっぽくない。ライブハウスのジャズの生音とは違う響き、リバーブがかかっているからなんか誤魔化されているような印象を受けてしまう。ECMでもっとも沢山売れたという右側のアルバム、オフィチウムは千年前の音楽・グレゴリオ聖歌をヒリヤード・アンサンブルとノルウエーのジャズサックス奏者、ヤン・バルバレクが演奏した、クラシックとジャズの融合したもの。これを聴いてなるほどと思った。あのリバーブのかかった残響音は、教会で聴く音と同じなのである。教会やコンサートホールで聴く音は、残響音が多いので、モノラル録音。一方小さなライブハウスだと聴く場所によって、生音の大きさが違うのでステレオ録音。育った環境で求める音の質や聞こえ方が違うのである。ECMの違和感なく溶け込んでいたのは、パット・メセニーではないだろうか。僕の学生時代に出た「80/81」は、オーネット・コールマンの曲を演奏しているということで話題になった。話題になるという意味は「結構やるじゃないか」という感じ。同じ頃出た、左側のアルバムの邦題が「愛のカフェオーレ」だったからしょうがない。メセニーの実力を臭わせない可哀想な邦題だった。教会的なサウンドが、メセニーの幽玄な感じと良く合い、僕は好きなアルバムなのに。あの邦題、なくして欲しいな。ECMが誤解されるよ。

 

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ジャズ雑記 13 お国柄

若者の間でECMレーベルが人気らしい。ちなみに僕の中で若者の定義は1970年以降の生まれの方々。44歳の人もぎりぎり若者です。ECMは往年のジャズファンからすれば、ちょっとオルタナティブなジャズという印象がある。短絡的だが、ジャズ界のプログレというか、フリージャズやクラシックの要素があって、一曲が長く、録音が良い。ジャズ界の雄ブルーノートレーベルとは、一見一聴、真反対の様に思えるが、意外にも創始者はどちらもドイツ人。これもお国柄ですねえ。

今回紹介するのはイタリアのジャズ。イタリアは古い街並みを大事にし、古い建物を活かした店が多い。古典の上にモダンな味付けをする。歴史のある国のなせる技だ。イタリアのジャズ界については全く詳しくないが、このMOP MOPはM.J.Q.の現代版のような感じ。ビブラフォンが入いり、古典的要素をお洒落に演出しながら現代を表現している。テクニックに走っていないところも好感が持てる。アルバムタイトルになった曲は抄録されているが、全体の内容とは余り関係ないようだ。

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極薄綿カディーのサロンと腰巻き

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間もなく台風とともに南の島から、
素敵な作品、生活道具たち、美味しいパンや焼き菓子!
そして素敵なそれらの作り手の皆さんが、上陸されます。
梅雨の晴れ間、温度も湿度も上昇し、亜熱帯の夏がもうすぐそこまで来ているのを感じます。

着る人も涼しく見る人も涼やかになるような、
極薄の綿カディで、サロンや腰巻きをつくりました。
ガーゼの重ねサロンと重ねて、汗を優しく吸い、
風が通り抜ける心地よさ軽やかさを是非体験してみて下さい。

※カディ【khadi】とは、イギリスが植民地支配をしていた時代に生まれた、
インドの手紡ぎの糸を手織りした布のこと。カディコットンとも呼ばれる。
イギリスの機械織り綿布に対する抵抗手段として、ガンディがインド各地を
歩き手織り布によってインド人の自立を促したことで普及したと言われており、
別名”The fabric of Freedom”とも呼ばれインドの人々に愛され親しまれている。
機械で紡がれた糸と異なり、手で紡がれた糸は不均衡なため「糸むら」により、
風を通しやすく涼しい、また吸湿性、速乾性にも優れ、冬は暖かいという特徴がある。

 

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左から
綿カディ 腰巻き
えんじと紺の格子柄
手紡ぎ藍染の木綿手織り紐付き

綿カディ 腰巻き
藍濃淡の格子柄
手紡ぎ藍染の木綿手織り紐付き

綿カディ 単サロン
グリーン系格子柄
細かな格子柄が集まり大きな格子に

 

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極薄綿カディーのサロン
単サロン フレアー  藍白細縞

ここまで細い糸を手紡ぎし手織りするのに、一体どれだけの時間を要するのか…
と気が遠くなるような、薄くて軽い綿カディーで、新らしい形のサロンをつくりました。

重ねばきをして紐を掛ける上部は決まったサイズに、切り替えから裾にかけて、
裾広がりのフレアースカートとなっています。長方形に斜めの分断線を入れ台形どうし接ぎ合わせ、
貴重な布の残布を出すことなくつくりました。裾が耳のものと、三つ折り始末をしたものがあります。
(写真は竿に掛けてあり、横向きになっており、左が上部です)

台形を接ぎ合わせたラインが、横接ぎや脇縫いのラインとともに美しく透けて。
どのラインも必要があり生まれる継ぎ目です。

 

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写真 3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

畳むと手のひらほどの大きさに。

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重ねサロン2.0白を内側に重ねて。

 

百草夏百種展「沖縄から」にあわせて
7/12(土)より2階常設展示室にて販売開始いたします。

 

 

FUNKの周辺 3 

遅すぎる始まり

高一でジャズに目覚め、マイルス・デイビス好きになった。当時出たアルバムは「GET UP WITH IT」。ジャケットは格好良かったけど、最後まで聴くのが苦痛だった。その後が「アガルタの凱歌」「パンゲアの刻印」。ジャケットは横尾忠則。これもジャケットは良いけど、最後まで聴くのはちょっと大変だった。そして病気療養で新譜は出なくなった。’60年代のモードジャズ時代は好きだったが、これ聴けるというマイルスの最後のアルバムは’69年の「BITCHES BREW」か’70年の「ジャック・ジョンソン」までだったという人は多いだろう。

久々の新作を引っ提げて’81年の復活コンサートは新宿で観た。それ以降のマイルスはロック世代には聴きやすかった。しかし、長らく空白のように’70年代のマイルスがあった。2003年8月号の月刊プレイボーイで「マイルス・デイビス」特集の付録が下記の写真。スウイングジャーナル編集長だった中山康樹監修のこの記事を読んでマイルスの謎が解けた。’60年終わりに結婚したベティ・デイビスの影響でスライ&ファミリーストーンやジミ・ヘンドリックスと出会い、それ以来、マイルスはロックやファンクを意識するようになったという。ウッドストックのようにライブで若者を熱狂させたいとマイルスはスーツを捨てた、つまりジャズの歴史から逸脱したのだった。’60年代以降の様々な文化は、カテゴリー内の歴史や伝統という縦軸で見るのではなく、分野を超えて横軸で見ていかないと理解できない象徴的な出来事が、’68と’69年に起きている。それを分かりやすく図にした付録だった。これを得てから、新しい音楽ライフが始まった。FUNKへの接近。感謝、感謝。IMG_1088

FUNKの周辺 2

曲がり角

FUNKが好きだと言うと「JB派それともSLY派」と質問される。FUNKの創始者とされるJAMES BROWNは陶酔するまでリズムが迫ってくる感じ。一方、SLY & FAMILY STONEの方は音数も引き算された感じでクール。そう、僕はSLY派なのです。SLYの「STAND」というアルバムの「LET’S SING A SIMPLE SONG」にあるギターフレーズをジミヘンが大晦日コンサートで弾き、マイルスが「JACK JOHNSON」の中でマクラフリンに弾かせ、なんとジャクソン5までもがそのフレーズを引用していたのには驚いた。’60年代後半から’70年代にかけて、黒人たちの意識は「STAND」しようとしていたし、その力がJAZZ・ROCK・BLUESなどの壁を取り壊していたことが、随分後になって分かった。消えたブログ 6  2010 9 23 記

 

周りは圧倒的にJ.B.派が多い。ファンカデリック好きもJ.B.派だからねえ。音楽的には1拍目に強いリズムがくるのがファンクの特徴とされ、J.B.が最初に取り入れたとか。1拍目と2拍目の裏に強いリズムが来ると、確かにノリは良い。それに較べ、SLYの功績は、その後に登場するミュージシャンの活躍で見えてくるのではないか。それがFUNKの周辺でしたいことかも。  2014 7 4 記

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